2015年11月25日水曜日

『続・悩む力』(姜尚中著)

私は阿呆である。Aという心配が済めば、Bという心配をしだし、それが済むと、Cという心配をしだし、それが済むとDという心配をしだし・・・、つまり私は心配を常に探している阿呆である。だから、毎日毎日が不安の日々の連続であり平穏なときがない。

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そんな阿呆な私にとって、掲題の本は心に沁みた。痛いほど理解できた。本というものの有難さを、あらためて身に沁みた。

もちろん此の本に書かれている事柄は、私如き阿呆のレヴェルを超えているが、現代を生きる人間の『不安と悩み』という点においては全く共通しており、私に多くの示唆を与えてくれた。

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自我というものが引き裂かれ、なんの拠り所もなくなりつつある私たち現代人の『不安と悩み』。
なぜ、そうなったのか。この本はソコを丁寧に解説してくれている。

その解説は決して他人事ではなく、我が身の今日ただいまの切実な問題として、繰り返すが痛いほど私は理解できた。

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この本は、余生というものが残り少なくなった私にとって、あるいは最後の貴重な本となるだろう。

2015年9月21日月曜日

『里見八犬伝』

だいぶ前の話だが。或る人が紹介してくれた長編海外小説を読んでみた。しかし内容云々以前に、登場人物のカタカナ名が私は覚えられず十頁足らずで挫折した。

我が青春時、『罪と罰』だったか其の和訳・・・当然だが・・・もカタカナが多すぎて嫌気がさし、これも始めの五頁で放り投げたものだった。

***

そこで、というわけでもないが、我が図書館の在庫本をPCで検索していたら、『里見八犬伝』に目が止まった。

里見八犬伝は、子供の頃、東映のチャンバラ映画で私はお馴染みであり、このテの映画は、私は、ほとんど全てみていた。

出演者はほぼ決まっていた。

東千代之介、中村錦之助、大友柳太郎、千原しのぶ、田代百合子、高千穂ひずる・・・。
今や懐かしき面々である。私の鼻たれ小僧時代の憧れの人々でもあった。

同じ東映映画の『新諸国物語』同様に『里見八犬伝』シリーズは、古稀を過ぎた今でも私の心底には郷愁が甘く残っている。

***

というわけで、当該の本『里見八犬伝』を図書館にリクエストしたものだった。

さて、届いた本を見ると・・・

現代語訳で漢字は総ルビ付き。挿絵入り。『小学生上級~中学生向き』と書いてあった。(古典文学全集23、ホプラ社)。

なるほど、これなら読み易い。

私は小学生上級の頃は光文社の『少年』の熱読者だった。 私は此の『里見八犬伝』を流し見つつ、『少年』を想い出していた。 私の郷愁は大いに満足させられた。

『里見八犬伝』の懐かしき人達にも再会した。
書いてみようか。

犬塚信乃、犬飼現八、犬田小文吾、犬山道節、犬阪毛野、犬村大角、犬川宗助、犬江新兵衛

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芥川龍之介に『戯作三昧』という短篇がある。

或る日の馬琴滝沢佐吉の日常を描いた佳品であり、私の好きな小説の一つである。

2015年8月22日土曜日

小池真理子の短篇

小池真理子の小説が好きな方はスルーされたし。

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ネットで何気なく見ていたら此の人は『幻想怪奇小説』を書くらしい。

私は其のテのものが好きだから、図書館で何冊か借りて読んだ。

『ソナチネ』『千日のマリア』『怪談』。いずれも幾つかの短篇から構成されている。 読んでみて正直詰まらなかった。 ここでは面白いモノを書くのが目的だが、こうも詰まらないものを読まされると、逆に感想を書きたくなる。

といっても、詰まらない小説なんてものは始めの数頁を読めば、大体、話の筋は見え見えになるから、数頁以降は流し読みになる。

ただ、一篇だけ面白い短篇があった。それは『怪談』の中の『カーディガン』。

このテの小説はネタバレは映画同様に禁物だから話の内容は此処では書かない。

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小池女史の作品には何か面白いものがあるかも知れない、ということで
『墓地を見下ろす墓』という小説が図書館にあったから読んでみるつもり。
さて最後まで読み通すかとうか・・・

2015年7月19日日曜日

馬場あき子のエッセー

馬場あき子の『鬼の研究』が面白かったので此の人のエッセーを読んでみようと思い、図書館から借りた。三一書房の『馬場あき子全集』の第十一巻である。
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今日、返却するので印象に残った随筆のタイトルだけ自分用のメモとして書いておく。以下『季節のことば』の中の短いエッセーである。
・鯛
・羽子板
・節分の夜
・母の雪
・雛
・卒業式
・お弁当
・代用食
・朝顔
・運動会
・おにぎり
・みかん
いずれも歌人らしい陰翳のある文章であり、各々の感想を書きたいが時間がない。
また再読するときが無いとは言えない。あとがきを見ると昭和六十三年四月とある。


2015年7月10日金曜日

『かくれ里』(白洲正子著)

本書の内容は以下のように紹介されている。

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世を避けて隠れ忍ぶ村里――かくれ里。吉野・葛城・伊賀・越前・滋賀・美濃などの山河風物を訪ね、美と神秘のチョウ溢(チョウイツ)した深い木立に分け入り、自然が語りかける言葉を聞き、日本の古い歴史、伝承、習俗を伝える。閑寂な山里、村人たちに守られ続ける美術品との邂逅。能・絵画・陶器等に造詣深い筆者が名文で迫る紀行エッセイ。
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全く其のとおりの本だが、もし私が、吉野・葛城・伊賀・越前・滋賀・美濃の辺りに生まれ育ったら、この本を楽しく読めただろう。

しかし残念ながら私の在所は此の地方とは、あまりにかけ離れており、正直なところ、実感として共鳴するまでには至らなかった。ただ、この本で紹介されている伝承、習俗等の古俗には興味ぶかいモノはあった。

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随分、昔になるが、NHKの教育テレビで毎週の日曜日の午後6時より『日本の伝統と、その継承』という大変、地味なドキュメンタリーが放送されたことがある。

私は此の番組を、大変、面白く見ていたものだ。

この放送番組のコンセプトは掲題の本の内容と同じだと私は思うが、やはり、このような隠れた『民俗学』的なものは、活字より映像で見るほうが分かりやすく、また楽しめる。

特に自身が住んで所の『日本の古い歴史、伝承、習俗』については、そうだ。

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掲題の本は、1971年の出版の本だから、当時の「かくれ里」は、今や、そう呼べない所も多いだろう。

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上記した此の本の紹介文で『名文で迫る紀行エッセイ』と書かれているが、事実、そのとおりで、肩の力がぬけた簡明な文章で書かれている。

しかし、また筆者の、もろもろなもの対する造詣の深さが、なんの嫌味もなく読者に伝わってくる。

確かに名エッセイと言えるだろう。

2015年7月8日水曜日

天才と精神病質について。(アイヒバウム『天才』より)

 以下は、W.ランゲ=アイヒバウム著 島崎敏樹、高橋義夫、 訳『天才』みすず書房、2000、P130-133より抜粋である。(読み易くするために以下の文章に空欄行を入れている)
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人生では訓練と教養が不足したためにどんなに素質がゆがめられるものかということはだれでも知っているとおりであるが、精神病質的につよい感動性があると、そういう才能の素質を発展させ、拡大させ、深化させるバネとなることができる。
精神病質的な人はごくわずかな刺激にも反応して体験するので、彼の経験は拡大され、血の中のざわめき、不安、次々と変転する気分状態は多くの事物を体験させたり吟味させたりする。
こうして、回帰するもの、恒常的なもの、本質的なものに対する眼がとぎすまされる。
表象生活が大幅にゆれる性質、いつでも刺激に飢えている性質、あたらしいものに対する好奇心をもった精神病質者は、したがって数多くの領域の秘密をのぞきこむことができ、また一方これまでかくされていた自分の資質をさがしだせるのである。
こうしてはるかへだたったさまざまの領域が一つの心のなかで結合され、境界科学や境界芸術が進歩のための重要なみなもととして突然わきだしてくる。
この人たちにそなわった猪突的な感情生活、偉大な非合理性、自制の欠如、それからひきおこされるいろいろな結果がかさなって、ほかの人では到底のぞめないような経験ができあがるのである。

 第二の助長――精神病質であることはなやむことであり、彼の自己自身が永遠につづく不快の源泉でもある。彼は自己の気分になやみ、自己の意志の不安定に苦しむ。
劣等感が他人の弱点に対する眼をするどくさせ、不満によって他人と自分とを比較する。
もともと比較は知能の本質的な機能であるが、たとえば身体の不具のためにひとからとがった批評をうけた場合を考えてみればわかることだが(リヒテンベルクの場合がそれ)、悲しい経験は悔みの念をよびさまし、悔みはよりふかくその体験に眼を向けさせて反省をうながす。
そうした暗い根本気分、物事を悲観的にとる受けとり方をとおして、はじめて多くの問題に真の厳粛さがあたえられ、存在の間隙と深淵に対して眼がひらく。
鷲のような眼をもつこの苦悩が認識のために価値をもち、作品に対する拍車としての価値をもつことはうたがう余地がない。

 さらに第三の効用がある。精神病質者は夢想幻想への傾向をもち、彼の心はすぐ飛びまわりはじめ、地面をはなれることができるので、観念の流動性、あたらしい観念の連合に富んでいる。ただしそのためには、合理性――つまり理性と悟性の力が、幻想界への没入を制御できるだけ十分につよくなければならない。

 ここでことわっておきたいが、私どもは「天才的」という形容詞を高度の創造的才能として今あつかっているのであって、社会学的な意味の天才とは別の角度からみているわけである。
そこでまず第一に狭義の「天才的」なものとして、物と物の関係を洞察する才能と発明的な思考力をあげることができよう。
ある人をほかの人よりも創造的にするものは、夢の層と合理の層を迅速に振動させて合奏させるという能力で、無形の混沌とした思考が、発生と同時に理性のふるいにかけられて形をえるのであるが、こうした思考様式が、完全な健康人の場合よりも資質にめぐまれた精神病質者の場合の方が多いのはうたがいえないことだし、このような思考様式が芸術的創作にとって有利なものだということも説明するまでもない。

 それから天分にめぐまれた精神病質的な人は、環境の精神性、つまり時代精神というものをしらずしらずの間に容易に感受できるもので、いわば幾千のほそい水脈をとおして、時代の脈搏のざわめきをききとり、彼が抑制というものを知らぬ表現芸術家であるときには、その時代の歌をかるがると歌いあげることができよう。


タグ: 病跡学 精神医学

2015年7月3日金曜日

『硝子戸の中』の「女」と、『明暗』の「お延」

『硝子戸の中』の「女」と、『明暗』の「お延」

『硝子戸の中』の六章~八章は、漱石の死生観がよく表現されていると私は思う。

このエッセーが書かれたのは大正四年の一月十三日から同年二月二十三日まで。

一方、『明暗』は大正五年の五月二十六日から同年十二月十四日で未完となる(漱石の死亡による)。
 
従って、『硝子戸の中』の六章~八章に書かれている漱石の死生観は『明暗』を書いた時点でも同一と思われる。

***

先日、私は『明暗』の謎について書いた。

その謎とは、この小説に登場する人物たち、特に『「お延」の運命はどのように展開するのか?』ということだった。

そのヒントが『硝子戸の中』の六章~八章に書かれているように私には感ぜられる。

***

『硝子戸の中』の六章~八章で、「女」が登場する。

これらの章の内容は割愛するが、この「女」を仮に「お延」だと仮定してみよう。

この「女」は漱石に「自分は生きる続けるべきか、あるいは自身の生命を断ち切るべきか」を問うている。

この問いは、まさに私の抱く謎に直結してくる。

漱石は八章で漱石自身の内心を以下のように告白している。

『不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつゝある私は、自分の何時か一度到着しなければならない死といふ境地に就いて考えている。さうして其の死といふものを生よりも楽なものだとばかり信じてゐる。ある時はそれを人間として達し得る最高至高の状態だと思ふこともある。「死は生よりも尊い」』 

この内心を、そのまま、「女」即ち「お延」への回答とすれば、「お延」は自身の生命を断ち切るべき』ということになる。

***

しかし、漱石は其のような回答を結局「女」にはしなかった。漱石の「女」への回答は『生きつづけよ』ということだった。このエッセーの其の辺りの文章を引用しよう。
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私は彼女に向かって、凡てを癒す「時」の流れに従って下れと云った。(中略)

彼女の創口(きずぐち)から滴る血潮を「時」に拭はしめようとした。いくら平凡でも生きて行くほうが死ぬよりも私から見た彼女は適当だったからである。

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『続明暗』(水原美苗著)では「お延」は自殺寸前で其れを回避していて、新生に向かうことを暗示させて終わっている。

水原美苗が『硝子戸の中』の「女」を『続明暗』の「お延」に反映させさたかどうか分からないが・・・おそらく別者と見ただろう・・・、私は「女」と「お延」を関連づけて観たい。

***

「死は生よりも尊い」と漱石は内心では思っている。

しかし「女」ないし「お延」には、「生き続けよ」と答えた。
ここに漱石の逡巡ないし苦悩を我々はみることができる。

事実『硝子戸の中』の八章の最後で『私は今でも半信半疑の眼で凝っと自分の心を眺めてゐる。』と書きそえている。

***

『凡てを癒す「時」の流れに従え』と漱石は言う。

これは『則天去私』と、どのような関りがあるだろうか。
私の謎がもう一つ増えた。

2015年6月29日月曜日

『明暗』 (夏目漱石)

『明暗』と『続明暗』(水原美苗著)を読んだ。

実は私は何十年か前にも一度読んだのだが、断片しか覚えていず、今回初めて読んだと言ってもよい。

私は漱石の小説は『門』がお気に入りだが、この『明暗』も面白かったという記億は残っていた。そこで再読したのだ。

***

『明暗』は五六名の登場人物しか出てこないが、その人物たちの心理描写は綿密極まっている。
心理というモノを解剖して、もし心理に『臓器』があるとしたならば、解剖後其の『臓器』を取り出し読者に綿々と解説している観が此の小説にはある。

そういう心理描写に興味のない人は此れほど退屈な小説はないだろう。

***

また此の小説『明暗』は一種のミステリー、あるいは謎解きの読みものとして読める。
私は謎解きとして読んだ。

小説に起承転結があるとすれば、漱石の『明暗』は、『さぁ、その謎は何だろう』という『転』の処で突然、終わっている。漱石が死んでしまって未完になったからだ。

***

その後を引き継いだのが、『続明暗』(水原美苗著)。

その謎は一応、解かれるのだが、果たして其の解が漱石の解か否かは、もはや永久に分からない。そして水原美苗女史の解にも、やはり謎が残存しているように私には見える。

***

『則天去私』は晩年の漱石の理想とする処だそうだが、ネットで調べると以下のように書いているサイトがある。
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小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと。「則天」は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。「去私」は私心を捨て去ること。
夏目漱石そうせきが晩年に理想とした境地を表した言葉で、宗教的な悟りを意味するとも、漱石の文学観とも解されている。「天てんに則のっとり私わたくしを去さる」と訓読する。
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水原美苗女史の解は此の『則天去私』に依っているようだが、それに該当するのは私は津田の妻『お延』だけに見える。

水原美苗女史の解は、漱石は『お延』に『則天去私』を委ねたように見える。

津田由雄他の登場者は相変わらず『我』にとらわれたエゴイズムのみで、その後の人生を生き続けるように見える。

特に津田由雄のその後の人生は、お先真っ暗であるように見える。

***
あるいは漱石の解答も、そうだったかも知れない。

深く考えず、誰も普通に読めば、一見、『清子』に漱石は『則天去私』を見ているように思うだろうが、たぶん其れは間違いだろう。

***

結局、漱石が提示した謎は、『続明暗』(水原美苗著)でも解かれなかったように私には思える。
誰か『続続明暗』を書いて正解を提示する人はいないだろうか? 

しかし漱石が亡くなった以上、其れは無理な注文だろう。

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いずれにせよ、この『明暗』という小説は、少し異質な未解決なミステリー小説だと私は思っている。

2015年6月22日月曜日

『魂の叫び声』(白洲正子)

掲題の本には『能物語』という副題がついている。

この本は能楽の、幾つかの演目を、現代語の文章として『翻訳』したものである。

著者は序章で、能楽は観るものであって読むものではないと、あらかじめ断っている。

では何故著者は、文章として『翻訳』したかというと、この本をキッカケとして多くの人に本物の、お能に接してもらいたいという趣旨のことを書いている。

***

また『翻訳』にあたって著者は以下のように留意したと書いている。少し長いが引用してみよう。

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これは、ほんの一例にすぎませんが、お能には、何もしない「間」というものが、いたるところで見いだせます。これは、実際お能を見ていただくよりほかないのですが、目でみる舞踊を、物語に翻訳する際は、白紙にままで残された表現を、言葉でうめる必要がある。

そこで、この本では、いくらか小説的な手法を用いたり、謡本にはない情景描写をつけ加えることもありました。

したがって、この「能物語」は、謡曲の直訳ではなく、忠実な、現代語訳でもありません。しいていえば意訳(全体の意味に重点をおいて訳すこと)に近いかも知れません。(以下略)
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実は私は謡曲全集(全三巻)をもっている。かなり詳しい解説が書かれているから、その気になって読めば謡曲の原文を理解することができる。しかし私は此の全集の一篇『黒塚』しか読んでいない。

私はテレビで放送される能楽は時折観ているが、放送された演目を此の謡曲全集で「予習」なり「復習」をしたことがない。正直なところ、そこまでの熱意がないからだ。

***

私は洋の東西を問わず、文芸本の『翻訳』というものに或る偏見をもっている。原文で読まなければ実感は出来ない、という偏見である。

例えば英語で言えば、「red」 と「赤い」は実感として異なると思っている。

つまり小説ならストリーのみ知っても、その小説を実感したことにはならない、という偏見である。私のこの偏見というか悪癖は今更直すことはできない。

そういう私の悪癖があるから、私は此の『能物語』を、能から離れた、一種の怪異譚として読んだ。

そういうふうに読むと此の本は私には何の違和感もなく面白く読めた。特に面白かったのは『大原御幸』だった。

***

ただ、此の本を、著者の希望どおりに『能楽への誘い』として読む人の場合は、そのテの本としては好著と言えるかと思う。

2015年6月19日金曜日

『硝子戸の中』(夏目漱石)

『硝子戸の中』を初めて読んだのいつ頃だったろうか。
学生時代ではなかったように思う。

ということは会社勤めの合い間に読んだということになるが、私は会社の休暇ときには仕事関連の知識吸収をするのが精一杯だった。

だから、休暇の僅かの時間に気分転換として、この『硝子戸の中』を読んだのだと思う。

これは小説ではなく39章からなるエッセーである。文庫本で一章が長くて数頁程度だから、辛い仕事の知識吸収の合い間の気分転換に読むには適宜なエッセーだった。

このエッセーを初めて読んだときには特に惹かれたわけではなかったが、何度か読み返すうちに、だんだん惹かれていった。

 私は同じものを繰り返して読む癖がある。

その癖により私はこのエッセーは今まで少なくとも10回は読んでいる。そんなに読んでいる理由の一つには、私の大好きな章がこのエッセーの中にあるからだ。それは3章だ。

 漱石という人は犬や猫や鳥が好きだったらしい。
というより、人間が嫌いで、その反映として犬や猫や鳥に親しみを感ずるようなタイプの人のようで、私は、そういう人が実は好きなのだ。

私はそういうタイプの人に惹かれる。犬や猫や鳥が嫌いという人間は、私は、それだけで、その人間を好きになれない。嫌いである。顔を見るのも嫌である。

この3章は、漱石が知人から貰った小犬 (たぶん捨て犬の類の何の変哲の無い言わば駄犬 )の思い出を語っている。

漱石宅に貰われてきた子犬は病死するのだが、この経緯を淡々と語る漱石の文章は感傷とは全く無縁であり、それだけに行間から漱石という人の温かみが滲み出ている。

私はこの章の漱石という人を敬愛する。

 以下は私の最も好きな文章であるので引用しよう。漱石はこの子犬の名をヘクトーと名づけたいた。
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車夫は筵の中にヘクトーの死骸を包んで帰って来た。私はわざとそれに近付かなかった。白木の小さい墓標を買って来さして、それへ「秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ」という一句を書いた。私はそれを家のものに渡して、ヘクトーの眠ってゐる土の上に建てさせた。

彼の墓は猫の墓から東北に當って、ほゞ一間ばかり離れてゐるが、私の書斎の、寒い日の照ない北側の縁に出て、硝子戸のうちから、霜に荒らされた裏庭を覗くと、二つとも能く見える。もう薄黒く朽ち掛けた猫のに比べると、ヘクトーのはまだ生々しく光ってゐる。

然し間もなく二つとも同じ色に古びて、同じく人の眼に付かなくなるだらう。    
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ここには孤独な漱石の姿がある。硝子戸のうちから、庭の片隅に埋められた犬や猫の墓を黙って見つめている漱石。 

そういう漱石という人の姿を、私は遠くから敬愛をこめて眺めている。 そういうことを私はいつも空想する。その空想は私を平穏にする。

***

『硝子戸のうち』の全章に通低しているのものは、漱石の諦観だと私は思う。

このしみじみとした静かな諦観に惹かれて私は、いつのまにか、何度も読み返している。私の憧れとしての漱石の静かな諦観。 

このエッセーの最後の39章の最後の一節も私は好きだ。
それも引用しておこう。
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まだ鶯が庭で時々鳴く。春風が折々思ひ出したやうに九花蘭の葉を揺かしにくる。猫が何処かで痛く噛まれた米噛を日に曝して、あたゝかさうに眠つてゐる。

先刻迄で護謨風船(ごむふうせん)を揚げて騒いでゐた子供達は、みんな連れ立つて活動写真へ行つてしまつた。

家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放つて、静かな春の光に包まれながら、恍惚(うっとり)と此の稿を終わるのである。さうした後で、私は一寸肱を曲げて、此の縁側に一眠り眠る積りである。
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夏目漱石に『文鳥』という短いエッセーがある。
この佳品も『硝子戸の中』の一篇と私はみたい。
家人の不注意により死んだ小鳥を見つめる漱石の視線は、庭の片隅に埋められた犬や猫たちへの視線と同じように私には思えるからだ。

***
ps. 私は最近『明暗』を再読している。


2015年6月18日木曜日

『素数に取り憑かれた人々』(ジョン・ダービーシャー著、日経BP社)

掲題の本は『リーマン予想』の一般読者向けの解説書である。

著者は此の本を読んで『リーマン予想』が何を意味しているか理解できなければ、どの本を読んでも理解できないだろうと断言している。

なるほど、この本では高校の数学にもどって、懇切丁寧に必要な数学の基礎知識から解説している。

この本で『オイラーの積の公式』が解説されている。

***

オイラーの積の公式とは以下の等式を言う。

1より大きい変数をs、正整数をn、素数をpとするとき、
1+1/2^s+1/3^s+1/4^s+1/5^s+1/6^s+・・・・+1/n^s+・・・・・
     ={1/(1-2^-s)}{1/(1-3^-s)}{1/(1-5^-s)}{1/(1-7^-s)}・・・・{1/(1-p^-s)}・・・・・・

このテの話に慣れていない人は上式を見ただけでウンザリするだろうが、この式が成立することの証明は、たぶん大学受験レベルの問題となるだろう。

***

著者は此の式の証明が書かれた数学の教科書を調べあげ、一番理解し易い証明方法を見つけたそうである。

そこで、一応、念のため、オイラーの原本での証明を調べてみたところ、なんとオイラー自身の証明のほうが遥かに簡潔で理解が容易であることが分かったそうである。

この本では此のオイラーの証明方法によって上式を証明・解説している。

それを読むとナルホド・ナルホドと大納得してしまう。このオイラーの証明は中学生でも容易に理解できるだろう。

著者は、こう書いている。

『原典に当たるに越したことはないとは、やはり真実である。』

これは一般的な教訓でもある。

***

モノゴトを真に理解していない人間ほど、そのモノゴトを晦渋に説明する、という教訓である。
勿論、私の自戒の言葉でもある。

ちなみに、上式はsを複素変数とするとζ(ゼータ)関数といって、知る人ぞ知る超難問:リーマン予想の主題の式である。

上記の本はリーマン予想に関しての一般読者向けのお勧めの本である。

2015年6月6日土曜日

『猟奇歌』 (夢野久作)

たぶん多くの人が覚えているだろうが、2008年6月8日、秋葉原通り魔事件が起きた。

昼日中、加藤某なる青年が秋葉原の交差点へ、2トントラックで突っ込み、横断中の人々を無差別に殺傷した事件であった。

その事件の数日後、或る作家が或る詩人の詩を当地の新聞で紹介していた。その詩は、まるで此の事件を予告していた観のある詩であった。私は其の詩をみて、詩人の感性の生々しさに驚いたものだった。

***

紹介されていた其の詩は夢野久作の『猟奇歌』だと記憶していたつもりだったが、今回、この日記を書くに当たって、青空文庫で『猟奇歌』を調べてみた。しかし私が記憶しているような詩は見つからなかった。

たしか、トラックで人ごみに突っ込み、その現場が血潮に染まる・・・というような詩と記憶していたが、どうも私の勘違いらしい。

***

夢野久作の『猟奇歌』は特異な歌ばかりで、まさに猟奇だが、私は此の歌集は嫌いではない。人によっては眉をひそめるかも知れない。彼の歌の詩を二つ転記してみよう。

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殺すくらゐ 何でもない
と思ひつゝ人ごみの中を
濶歩して行く

ある名をば 叮嚀ていねいに書き
ていねいに 抹殺をして
焼きすてる心

ある女の写真の眼玉にペン先の
赤いインキを
注射して見る

この夫人をくびり殺して
捕はれてみたし
と思ふ応接間かな

わが胸に邪悪の森あり
時折りに
啄木鳥の来てたゝきやまずも

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何者か殺し度い気持ち
たゞひとり
アハ/\/\と高笑ひする

屠殺所に
暗く音なく血が垂れる
真昼のやうな満月の下

風の音が高まれば
又思ひ出す
溝に棄てゝ来た短刀と髪毛

殺しても/\まだ飽き足らぬ
憎い彼女の
横頬のほくろ

日が照れば
子供等は歌を唄ひ出す
俺は腕を組んで
反逆を思ふ

わるいもの見たと思うて
立ち帰る 彼女の室の
むしられた蝶

わが心狂ひ得ぬこそ悲しけれ
狂へと責むる
鞭をながめて

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『猟奇歌』は全て、このように、魔性とでも言うべき、心の闇を呟いたものばかりである。
興味ある人は青空文庫で読めるから見たらいい。

2015年6月1日月曜日

『墨東綺譚』 (永井荷風)

私は学生時代・・・今から半世紀程前だが・・・大学の生協で買った『墨東綺譚』(永井荷風)の文庫本を今でももっている。 私としては稀有なことだ。

私は永井荷風が特に好きなわけでもないのだが、今でも記憶していることがある。

私が高校生の時だったと思うが、私に文学好きな友人がいて、或る朝、彼に会ったとき 『おい、永井荷風が死んだぞ』 と知らされた。荷風の死にざまの故か、この友人の声が今でも私の耳の奥で聞こえるような気がする。

***

物持ちの悪い私が半世紀程も此の文庫本を、ともかくも持っているのは、『墨東綺譚』の最後の文章が好きだからだ。

引用しよう。
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花の散るが如く、葉の落るが如く、わたくしには親しかった彼の人々は一人一人相次いで逝ってしまった。わたくしも亦彼の人々と同じやうに、その後を追ふべき時の既に甚だしくおそくないことを知ってゐる。晴れわたった今日の天気に、わたくしはかの人々の墓を掃きに行かう。落葉はわたくしの庭と同じやうに、かの人々の墓をも埋め尽つくしてゐるであらう。
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思えば、私自身も今や『その後を追ふべき時の既に甚だしくおそくないことを知ってゐる。』歳になってしまった。

2015年5月22日金曜日

『鬼の研究』(馬場あき子)

・特に能の般若の面について。

私は古文の知識が皆無といってよいから、馬場あき子の『鬼の研究』を理解できたとは、とても言えないが、ある程度は理解できた。先ず文章だが、読んでいて痛感するのは、その文章の陰翳の濃さだ。それは著者が歌人だからだろう。この本の最大の魅力は(僭越ながら)その文章そのものにある。勿論、本の内容は別格としてだが。
***
それはともかくとして、あの般若の面は、どうして般若と呼ばれるのか、私は昔より分からなかった。

般若の面は、女性が人間であることを放棄した果ての、『業(ごう)のような愛の無残を知ったものの慟哭ゆえに裂けた口元を持った』と著書は書いている。
***
更に著者は言う。『ところで<般若>とは<知恵>という意味である。「般若心経」はその<知恵>の究極として、「一切是空」の真理を説いたもので (中略) いっさいはすべて空なのであって、それを悟るときは、あらゆる魂の苦患(くげん)をまぬかれると教えるのである。』
***
従って般若の面をつけるということは、人間であることを放棄し果てた女の、その最後の最後の破滅の瞬間の崖っ淵で、その女の魂は救われる、ということを意味する。 なんと深い意味があることか!! と私は思った。 般若の面をかぶる意味が私はよく理解てきた。
***
著者は小面の面の<ほほえみ>についても含蓄ある解釈をしている。少し長いが引用しよう。

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『<かくすことはあらわすことである>とする日本的な美意識が衰えないかぎり、いやそれが薄れゆく時代であればなおさら、小面は美しい羞恥の心の存在を思いこさせるべく、新しい効果を生んでいるといえる。

小面のもつこのような怖ろしいまでの演技性、<ほほえむ>という演技性は、ことに女性の不幸な時代において多大に発揮された。 (中略) 

<般若>の面を云々するにあたって、なぜか<小面>から論じなければならない羽目にいたってしまうのは、(中略) きわめて演技的な小面の<ほほえみ>の内側には、時に般若が目覚めつつあるのではないかという舞台的幻想に取るつかれるからである。

つまり小面と般若によって表現される中世の魂はけっして別種のものとみることができないということだろうか。 (中略) すべての小面のかげにはひとつずつ般若が眠っている。般若と小面に宿るほのかな微笑のかげは、修羅を秘めた心の澄徹のゆえでなくてはならない。』
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***
小面と般若は決して別物ではないという著者の人間の心の洞察は説得力があり、これも私には『目からウロコ』であった。

ところで、小面が、ふと見せる妖しい微笑は、私はレオナルド・ダヴィンチの『モナリザ』の微笑を連想する。

美しいというより不気味な微笑だからだ。

やはり<妖しい>という表現だ妥当だろう。

もしかして『モナリザ』にも<般若>が奥に隠れているのかも知れない。
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追記:この本の五章に白練(しろねり)般若について書かれている。「白練」とは、成仏得脱する女人の浄衣にたとえられる扮装をいったものだそうだ。能『葵上』では、生霊:六条御息所が此の白練般若の面をかぶる。You Tube に能『葵上』がup-loadされていて、白練(しろねり)般若がどんな面なのかが分かる。このup-loadされた『葵上』(H13/5/20に宝生能楽堂で収録)には字幕がついており、分かりやすい。参考になるだろう。

2015年5月18日月曜日

『山の人生』 (柳田国男)


掲題の本の第一章に『山に埋もれたる人生のあること』と題された民俗学的記録がある。

その第一章に『山に埋もれたる人生のあること』と題された比較的短い文章がある。

以下のように書き始められている。

『今では記憶している者が、私のほかにはあるまい。三十年あまり前、世間がひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)で斬り殺すことがあった。』

この後、私の本で一頁も満たない文章で終わっているから興味あるかたは読んでもらいたいが、私が此の話で常に不思議に思うことがある。

それは斬り殺される子供が自ら斬り殺されることを嘆願していることだ。

***

その日、男(子供の親)が昼寝から覚めると・・・

『二人の子供が、しきりに何かしているので、傍へ行ってみたら一生懸命に仕事に使う斧(おの)を磨いでいた。阿爺(おとう)これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。』

そこで男は其の二人の首を打ち落としてしまった。

という話である。何故、この二人の子供が殺されることを嘆願したかの説明は一切ない。
それが私には不思議なのだ。

***

『今では記憶している者が、私のほかにはあるまい。』と冒頭、柳田国男は書いているから、この記録は、あまり世間には知られていない事実ないし伝承らしい。

その気になれば、なんでも理由はつけられようが、当の柳田国男が其れについて何も語ろうとはしていない。

だから、余計、私には不思議に思えるし、また『山の人生』というものの真実が、私には見えてくるような気がする。

2015年5月4日月曜日

『季節のかたみ』 (幸田文)


最近、幸田文のエッセーを図書館から借りて読んでいる。掲題の本も其の一つ。

私は、いわゆる読書家ではないから、今まで読んできた文芸関連の本の著者の数は十を満たさない。従って以下に書くことは私の単なる主観に過ぎない。

***

幸田文の文章を読んでいて私が感ずることは、昔、高校で習った初等解析幾何の定理の証明文を連想させる。勿論、其の文章は定理の証明そのものであるはずがなく、書かれている内容は、我々庶民の生活一般に関する事柄が全てだと言ってよい。

その生活一般に関する事柄の文章には、必要にして、かつ充分の語彙しか使用されておらず、冗長さや無駄が全くない。その点が、文章の構造として解説幾何学の証明文に酷似していると私は思う。

***

また、初等解析幾何の定理の証明文には、文章としての虚飾は当然、無用というより排除されているが、その点も幸田文の文章にも似ている。

つまり幸田文という人の文章を、一言をもって言えば『乾いている』とも言える。

しかし、だからと言って、此の人の文章が無味乾燥というのではない。徒らに私情に走らない湿度の低さがあるのだ。

***

此の人のエッセーの主題は、上にも書いたように『我々庶民の生活一般に関する事柄』だが、それを叙するとき、此の人は決して形而上の書き方はしない。

形而下というより、此の人の実体験・・・それは父:幸田露伴仕込みのものでもあるが・・・に裏打ちされた土台が必ずある。

であるから、書かれている人生の機微にも説得力がある。

そして其の機微に触れるのは、まるで洗い晒した木綿生地に触るように気持ちが良い。

其れが此の人の文章の魅力だ。

2015年4月20日月曜日

『流れる』 (幸田文)

掲題の本についての感想はネットで、いろいろと書かれているから先ずはソチラをご覧になれば、今更、この有名な本に私が蛇足を加える必要はない。

とは言うもののソレデ オシマイ とするのはナンだから、蛇足を以下に付け足しておく。

***

ともかく『乾いた』文章が切れ目なく続き、又、其れが、ここまでやるかと思わせるほど『省略』されているから、そういう意味では此の本は決して読みやすい小説ではない。

事実、この小説に登場する人物は10名程度であるのだが、その人間関係を掴むには、私みたいに記億力の貧弱な人間には苦労する。

***

人間という者は、何らかの『社会』の中で生きざるを得ない。
この本で印象的な文章がある。引用しよう。

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住むとか生きるとかいうきたなさをを伴った場所から出て、どこかよそのいい処、浄い処、極端に云えば台所と便所のない処へ行きたいのだが、そんな処は墓よりほかにあるだろうか。
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なるほど、今生の如何なる『社会』に居ようとも、其処には『台所と便所』が必ずあるものだ。

Aという『社会』からBという『社会』へ移ろうとも・・・即ち、『流れ』ようとも・・・其処には、食らうコトと排泄するコトが必ず付きまとうものだ。こればかりは生きているものの宿命である。

食らうコトと排泄するコトがきたないコトである・・・換言すれば其れが人間というものの業(ごう)であるならば、それから逃れるには死しかあるまいと筆者は云っているにように私には見える。 

実は私も同意見である。

2015年4月8日水曜日

『暮らしの哲学』(池田昌子著、毎日新聞社)

掲題の本の著者と同姓同名の女優さんがいるらしい。詩人:山本陽子もそうだった。掲題の本の著者は、ネットでしらべるとき、哲学と併記して検索すると出てくる。

大学では哲学科倫理学専攻したそうだ。生誕は1960年、死亡は2007年2月23日。肝臓癌だったそうだ。46歳の生涯だから、今日においては短命だったと言えるだろう。

***

多くの文章を残しているが、此の人の文章の特徴は、掲題の本では以下のように紹介している。

『専門用語による「哲学」ではなく、考えるとはどういうことかを、日常の言葉で語る「哲学エッセー」を確立し・・・』。

ここでは「確立」と断定しているが、この本を読めば分かるが、此の人のライフワークは其の確立にあったようで、その道半(なか)ば逝った。無念だっただろう。

尤も、この人にとっては、我々の普通の人における死生観は通用しないから、無念もヘチマも無いに違いない。

***

この本について、他の人は如何なる感想をもったかをネットで、ちょっと調べてみたら、こんな趣旨の感想を書いている人がいた。

『自分は哲学については、それなりの知識があるので、この本に書かれていることはアタリマエなことで退屈であった』と。

私は此の感想をみて苦笑した。必ず、こういう手合いはいるものだ。退屈なら読まなければよいことだし、要するに此の手合いは掲題の本の趣旨が分かっていないという恥さらしを表明しているに過ぎない。

***

この本の始めのほうに数学の話が出てくる。無限と無に関しての話だ。

私が常々思ってることは、哲学者という人種はゲーデルの不完全定理を、どのように評価しているのだろうかということだ。

私自身は其の定理については全くの素人だが、その定理の意味していることは、それなりに分かっているつもりだ。

「考える」ということにおける此の定理の問題提起は、かなり深刻なはずだ。

日常言語で哲学を語る此の著者に訊いてみたい。

『貴女を此の定理を哲学では如何に問題視するのですか?』と。

私如き普通人にも納得できるように日常言語で答えてくれるだろうから。

2015年4月4日土曜日

『日本の名随筆 下町』(沢村貞子編)

沢村貞子に『わたしの下町』という著書があって、面白そうだから掲題の本を図書館から借りてみたら、それは沢村貞子が選んだ30名程の有名人の『下町』アンソロジーであった。
そのアンソロジーは全て東京の、いわゆる下町であって、その『思い出話』ばかりであった。『昔の下町はね・・・』と言った回顧趣味の話ばかりであった。
そもそも私は旧東海道・金谷(かなや)宿の産だから、縁(えん)も縁(ゆかり)もない東京の下町の回顧話など興味も関心もないものだから、この下町アンソロジーの一篇を除いて、全て斜め読みした。つまらないからである。
東京の下町の此のような回顧話には、その背後に或る種の臭みを私は感じた。いわゆる『江戸っ子振ることの臭み』である。
書いている当人には恐らく気づかないだろうが、東京・下町の此のような回顧趣味は、地方人・・・なんという時代遅れの語彙だろう・・・には、得てして或る嫌味と臭みを感じさせるものなのだ。だから、私は読んで面白くもないから斜め読み飛ばした。
ただ、このアンソロジーで1篇だけは例外的に面白かった。

それは永六輔の『肩身の狭い町』という随筆で、ここには単なる回顧趣味で終わっていない、現在の東京という『町』への鋭い批判・・・しかし決してシャチホコバラナイ・・・があった。この文章には野暮な甘ったれた回顧趣味は無かった。

2015年4月3日金曜日

『高峰秀子との仕事1』(斎藤明美著、新潮社)

実に面白かった。私としては珍しく一気に読んでしまった。

何が面白かったか? 其れは斎藤明美という人物から見た高峰秀子の『実像』が活写されているからだ。

斎藤明美は、高峰秀子夫妻の養女になった元記者(週刊文春)だが、其の記者という言わば写真機が高峰秀子という被写体を活写しているのだ。

その面白さの主体は高峰秀子というに稀有な人間自体にあるのは勿論だが、著者の闊達な文章にも依っている。

この本の中で紹介されている逸話での「傑作」は、『高峰秀子が乗り移る』と題された話で、高峰秀子という人間が如何に『変わった人』であったかが実に雄弁に読み手に伝わってくる。

『変わった人』とは? それを、もし、知りたいならば、是非一読を勧める(167頁)

2015年3月29日日曜日

『わたしの渡世日記』(高峰秀子著)


本書を読めば分かるが此の本のタイトルからして此の人らしい。なるほど、この人の人生は『渡世』と言う言葉がピッタリくる。

いかにも此の人らしいエピソードがWikiに書かれている。引用しよう。

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昭和40年、市川崑に撮影が依頼された映画『東京オリンピック』が、完成前の試写会で河野一郎(オリンピック担当国務大臣)が内容に疑問を投げるコメントを発したことをきっかけに大論争が巻き起こった際、高峰秀子は以下の擁護コメントを雑誌や新聞に寄せた。

『とってもキレイで楽しい映画だった。(文句をつけた河野は)頼んでおいてからひどい話じゃありませんか。市川作品はオリンピックの汚点だなとと乱暴なことばをはくなんて、少なくとも国務相と名の付く人物のすることではない』

高峰は直接河野に面会を求め、その席で高峰は市川と映画のすばらしさを訴えるとともに、河野が市川と面談するように依頼した。

河野は談笑を交えて、『実は映画のことは少しもわからんのだ』と高峰に答えた。その後河野は高峰のとりもちで市川と面談を重ねた結果、制作スタッフの努力を認め、最終的に『できあがりに百パーセント満足したわけではないが、自由にやらせてやれ』と映画のプロデューサーに電話して矛を収めた。海外版の編集権などは市川に戻った。

高峰は雑誌での河野との直接対談でも『永田雅一が友人だからあまり悪くは言えないが』と当時の映画の斜陽化と監督の力量を嘆く河野に対し『それは永田さん(経営者)の問題です。監督は所詮勤め人なんですから「これこれこういうものを作れ」と言われたらそういう物しか作れません』と直言するなど、河野に『高峰秀子と言う女は只者ではない。男に生まれていたら天下を取ったに違いない』と言われた。

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確かに此の本を読めば河野の、『高峰秀子と言う女は只者ではない。男に生まれていたら天下を取ったに違いない』という評価は正鵠を得ていた思わざるを得ない。

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この『只者ではない』ことの一つには此の本の歯切れの良い文章にもある。同じWikiを再び引用しよう。
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週刊朝日連載の『わたしの渡世日記』は「本当に本人が書いているのか」という問い合わせが殺到したが、当時の週刊朝日の編集部では、「ゴーストライターを使っているなら、あんな個性的な文章
にはなりません」と答えたといわれる。

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晩年に自身及び夫の骨壺を作ったという、この空前にして恐らく絶後の大女優・・・本人は女優という職業を大変嫌っていたのだが・・・俳優稼業の引退後は、同じWikiに依れば、

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瀟洒だが、大女優の邸宅としては質素な家に住んでいた。当初は、西洋の教会建築を模した建物であったようだが、老後に備えて、建物を小じんまりしたものに改装し、晩年は殆ど外部との接触を絶ち、早寝早起きの生活で余生を楽しんでいたと言われる。

最晩年には、自らの死期を悟ったのか、文藝春秋の編集者・ライター、斎藤明美を養女とし、自らの死後、夫・松山善三の世話を任せている。

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享年(満86歳、2010年12月28日)  (合掌)

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以下、全く関係ない余談だが『只者ではない』で私は思い出すことがある。

私は私の半生において私の傍には、いつも猫がいた。どの猫も駄猫であったが、その中に一匹に実に頭の良い猫がいた。

なにしろドアのノックに跳びついてドアを開けるという芸当をするような猫であった。人の身振りを理解する『只者ではない』猫であった。もし人間に生まれていたら、それこそ天下をとったかも知れない。
出来うることなら、駄目人間の飼い主(即ち私)と代わってやりたかった。

2015年3月19日木曜日

『ノモンハンの夏』(半藤一利著、文言春秋社)

本書はノモンハン事件についての詳細なドキュメンタリーである。
私は昭和史についての知識は皆無だが、司馬遼太郎が以下のような趣旨のことを言っていたらしいので此の事件については、以前より興味だけはもっていた。
すなわち、『ノモンハン事件について書くことは司馬遼太郎にとって死ね、ということだ』と。要するに、司馬遼太郎にとって、この事件に登場する人物たちと当時の時代の(軍人を含め)指導者たちに全く魅力を見いだせず、書く気力を喪失させる、ということのようだった。
(この日記の最後に、NHKアーカイブスでの『司馬遼太郎とノモンハン事件』と題された半藤一利による証言をリンクしておくので参考されたし。)
***
この本の著者:半藤一利は此の本で、当時の指導者(政治家、軍人)は無論のこと、報道関係者及び一般大衆をも手厳しく批判している。
本書は細かい活字で350頁もある詳細な記録であるので、私は読んでいて頭が痛くなるほどであり、また軍隊組織の知識も無い故もあって、正直なところノモンハ事件の軍事的な詳細は理解できたとは、とても言えない。
ただ、当時の軍人、特に陸軍の主要人物たちの『いいかげんさ』には全く驚いてしまった。本書でも、いたるところで、その点を痛烈に批判している。
本書の「あとがき」で著者は以下のように書いている。
『それにしても、日本陸軍の事件への対応は愚劣かつ無責任というほかない。手前本位で、いい調子になっている組織がいかに壊滅していくかという、よき教本がある。』
その具体例が、此の本で、綿密に一つ一つ詳細に検証されている。そして著者は辻正信という人物を「絶対悪の人間」だと断定もしている。
***
先の戦争での日本帝国軍隊、特に陸軍の腐敗ぶりは、歴史音痴の私にも耳にしていたのであるが、まさか、それほどまで『いいかげん』だとは思っていなかった。
この本を読んでいて意外に思ったのは(私の歴史音痴によるものではあるのだが)、事件の要所、要所での昭和天皇の判断の適正さであった。
統帥権の独立といっても、このノモンハン事件当時においても、表向きは統帥権が守られていたようだが(即ち、軍隊での天皇の判断が最優先される)、現実には無視されていた。このことにも私は驚いた。
***
なにかと批判される『統帥権』だが、もし天皇の判断が帝国陸軍に実質的に貫徹されていたならば、ノモンハン事件も、その後の太平洋戦争も、あるいは現実とは違っていた可能性が高いと思われる。たぶん、より良き方向に。
統帥権をも結果的に無視した帝国陸軍の「下剋上」に天皇は以下のように批判したという。
『畢竟、陸軍の教育があまりに主観にして、客観的に物を見ず、元来幼年学校の教育がすこぶる偏しある結果にして、これドイツ流の教育の結果にして、手段を選ばず独断専行をはき違えたる教育に結果にほかならず、・・・』
この批判を著者は正しいと書いている。現実は天皇の批判でさえも帝国陸軍は聞かなかった。時代の流れというものに流石の天皇も逆らえなかった。結局、結果として天皇は日本帝国陸海軍に都合よく利用された、ということだろうか。
***
NHKアーカイブスで、『司馬遼太郎とノモンハン事件』と題された半藤一利の証言が放送された。参考になるだろう。

2015年3月12日木曜日

『赤ひげ診療譚』(山本周五郎)

この小説は昭和34年に刊行された8篇の独立した短編から構成されている。
8篇中、最も印象に残る逸話は『むじな長屋』の後半に書かれている、「佐八」と「おなか」の哀話である。この小説は昭和40年に黒澤明によって映画化され、この「佐八」と「おなか」の逸話も映画化されていた。公開直後、私は此の映画を観た。「佐八」は山崎努、「おなか」は桑野みゆきが演じた。共に好演だった。
***
大火事によって、「佐八」と「おなか」は別れ別れになってしまう。その二年後、「佐八」と「おなか」は、ほおずき市の日、浅草寺の境内で偶然再会する。
映画では此の一瞬、鉢に吊るした風鈴が一斉に激しく鳴り始める。これは、「佐八」と「おなか」の心理の動揺の見事なメタアァーであった。黒澤明は此の鈴の音色に随分拘(こだわ)ったらしいが、小説では風鈴の描写はない。
「佐八」と「おなか」の仲の運命的な出会いと切実な離別は、いかにも山本周五郎らしい逸話で切ないものであった。その出会いと離別は、臨終間際の「佐八」の告白として語られる。この告白は『人間というものの哀しさ』という意味での衝撃的なものであったのだが、小説でも映画でも此の逸話の描写は秀逸だった。
***
先に書いたように、私は映画は昭和40年公開時に観ているが、小説は先日初めて読んだ。映画での此の逸話の各場面は今でも鮮明に記憶しているが、今回、小説をあらためて読んでみて此の逸話には更に感じ入るものがあった。
***

私の家内の親戚の人が今でも浅草寺の「ほおずき市」での「ほうずき」を自宅に送ってくれることがある。その「ほうずき」を見ると、私は「佐八」と「おなか」の哀しい運命を常に思いだす。

2015年3月8日日曜日

『日本のいちばん長い日<決定版>』(半藤一利著、文春文庫)

本書は昭和20年8月15日をめぐる24時間での、日本帝国の終焉の様子を其の時間経過で追ったドキュメンタリーである。

この一日での舞台役者は日本帝国の中枢部の人々であり、またポツダム宣言受諾を反古しようとしてクーデターを計画し敗残していく陸軍将校たちである。

彼ら役者たちが何よりも重要視していたのが『天皇を主体とする国体保持』であった。

その重要視さ加減は、恐らく今日の人々にとっては呆(あき)れる程のものであり、理解不能な狂気にも見える。例えば、一部の陸軍将校たちの国体観は以下のようなものであったという。

『建国以来、日本は君臣の分の定まること天地のごとく自然に生まれてものであり、これを正しく守ることを忠といい、万物の所有はみな天皇に帰するがゆえに、国民はひとしく報恩恩赦の精神に生き、天皇を現人神(あらひとがみ)として一君万民の結合をとげるーーーこれが日本の国体の精華である。』

上記の文章を本気で信じている人が現在いるだろうか。
その証左に、或るサイトでのQ/Aがあるから無断で引用みよう。
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(質問)
『国体の護持』というのはそれほど大切なのですか? ご存知のように日本はポツダム宣言を「国体の護持」の一条件のみを付けて受諾しました。「全面的武装解除」や「責任者の処罰」は行わないなどという条件は付けませんでした。それはこれらの事柄よりも「国体の護持」の方が大事だったことを意味します。

また、連合国が国体の護持を明確に否定した場合はポツダム宣言受諾はありえなかった、即ち本土決戦になったと思われます。なぜに国体の護持がそこまで大切なのでしょうか。皆さんのご意見をお待ちしています。 
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(回答)
相変わらず言葉の遊びが多いですね。言葉の定義の問題ではありません。「国体」とは大日本帝国のあり方、即ち明治に起こった新興宗教とも言うべき天皇教、国家神道に基づいて神である天皇が元首であり国の統治者である日本の形態です。

ポツダム宣言について日本は国体護持に関してぐずぐず言いましたが、アメリカは「天皇については日本国民の自由意志で決めればいい」と言いました。軍部と政府トップの一部は、それでは困る、と。つまりそれまでの様に神様である天皇を国の統治者とする国体にこだわったのです。その二週間で原爆を二発も落とされ、ソ連(ロシア)は中立条約を破って侵略してきた。

こうして、死ななくてもよかった日本人を更に数十万も殺して守ろうとした「国体」とは一体なんだったのでしょうか?そして国中が焼け野原になり、そろそろ餓死者も出始めていた日本です。一般国民が地獄の苦しみを味わっている事などは一切考慮になく、「国体の護持」が唯一、最大の降伏条件だった大日本帝国とはどんな国だったのでしょうね。

しかもたった6年の占領が終わって既に60年、国体の「こ」の字も出てきません。そしてその為に日本人が困っているという話も聞きません。いかに薄っぺらい観念だった証拠ではないでしょうか。
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***
昭和20年8月15日をめぐる24時間、及び、此の国の先の敗戦の戦争中には、このような『国体保持』の信者のみが正常者であった。

と、こんなふうに今私が断定できるのも、私が幸いにして其の時代に生まれてこなかったという単なる偶然によるものだろう。逆に此の掲題の本での登場者たちの壮絶な悲劇は、単に其の時代に生まれたということに過ぎない。
***
戦争というものの、あらゆる悲劇・悲惨さの本質は、それが行われた時代、地域、民族とは無関係だと私は思っている。

その悲劇・悲惨さの本質は人類の脳の欠陥に依るものだと思っている。
その欠陥とは、この日記で何度でも書いてきたように、アーサー・ケストラーの『ホロン革命』で指摘している欠陥であって、具体的に言えば、人類という種のもつ『過剰な献身性』がそれだ。
***
しかしながら、『天皇を主体とする国体保持』は、少なくとも今日において通用しないのは当然だとして、今日でも此の国で問題なのは『天皇なるもの』及び『天皇制』だろう。

少し熟慮しなければならないが、私における『天皇』とは、或る種の『大嘘』だと一応理解している。『大嘘』だが、私のセンチメンタリズムは以下の歌にも共鳴していることも告白しなければならない。

2015年3月3日火曜日

『あかね空』(山本一力著、文春文庫)

私は山本一力という人のトーク番組をラジオで聞いたことがある。その語り口は、まるで子供に噛んで含めるような朴訥さがあって、いかにも此の人の人柄を思わせる語り口であった。私は其の朴訥さに良い印象を受けたものだった。

そのトーク番組での話だったかどうか忘れたか、此の人は日常の用を足すとき自転車で行くそうであった。その自転車での用足しは、あるいは此の人の奥さんだったかも知れない。

その自転車での用足しの話は恐らく此の人が未だ『売れない』頃の貧乏時代のことであろう。都会に住んでいれば車よりも自転車のほうが便利ではあるが、しかし其の自転車での用足しの話は、いかにも此の人らしいと私は思ったものだ。 

作家として立派に一人立ちした現在も、たぶん、此の人は自転車で用足しているのではないかと私は想像する。

***

『あかね』色は私の好きな色だ。柿の色も私の好みだ。

私の故郷は遠州の金谷(かなや)という田舎だが、近くに茶所で有名な牧の原が在る。私は故郷を離れて既に半世紀以上経つが、此の田舎町の『茶祭り』で唄われた唄の歌詞の一部を今でも懐かしく覚えている。その一部に以下の歌詞があった。

♪あかね襷(たすき)の、あかね襷の、茶もそろた・・・

***

私は『あかね空』という小説の存在は以前から知っていた。この小説の著者が山本一力だということも知っていた。先に書いたように『あかね』色の好きな私は故郷への郷愁を此の小説に重ねていた。前から読んでみようと思っていた。

ということで、最近、図書館から文春文庫のものを借りて読んだ。約400頁もある長編小説だが、元来、私は長編ものは苦手だったが、数日かかって完読した。私としては稀有なことだった。

***

予想していたことだが、この小説での登場人物たちは、山本周五郎の世界の人々に酷似していた。特に女性たちは『日本婦道記』での女性たちと少しも変わらない。

私は、これらの人々に逢いたくて此の『あかね空』を読んだと言っても過言ではない。

こう書くと『あかね空』の作者は不愉快に思うかも知れない。しかし其れは私の杞憂だろう。恐らく此の『あかね空』の作者は、あの孤高の作家・山本周五郎の世界を『あかね空』に見た私を喜んでくれると私は勝手に思っている。

***

ただ、やはり此の『あかね空』は、私の知っている限りにおいての山本周五郎の世界とは趣(おもむき)が異なる個所は当然ある。その最たる個所は此の小説の最後のほうの傳蔵が登場する場面だ。

この一連の場面は、まるで江戸歌舞伎の荒芸を見ている小気味良さがある。この一連の場面だけでも例えば成田屋の連中が歌舞伎化したならば、さぞ面白い舞台になるのではないだろうか。

2015年2月27日金曜日

『縄文の地霊--死と再生の時空』(西宮紘著、工作舎)

或るサイトに『縄文ゼミ』というコミュニィティがあって、私は其の管理人さんに誘われて入会したのだが、それまで私は『縄文』という文字は知ってはいたが、如何なる意味においても其の内実は知らなかった。中学生の頃だろうか日本の歴史の授業で習った記憶があるが、その全ては完璧なまでに忘れてしまっていた。
***
掲題の本は、そんな経緯で知った本であるが、著者が物理学専攻の人だったので興味を覚え図書館で借りて読んだ。と言っても此の本は400頁余もある本で、流し読みしただけだが・・・実は私は『縄文』の細かい専門的なコトには余り関心がもてなかったため、ざっと目を通しただけだが・・・最終章の『死と再生の時空---比喩の彼方に』は完読した。これは面白かった。
この本に眼を通しているとき、アーサー・ケストラーやライアル・ワトソンの著書が引用されていたので驚いたのだが、あらためて此の本の発行年を見たら1992年だった。
その頃と言えば、いわゆるニューサイエンスの流行が下火になった頃だが、下火と言えども此の本はニューサイエンスの文脈で書かれている印象を私はもち、その意味では懐かしくもあった。
***
ただ、最終章で、『縄文』の霊魂を遺伝子に例えている点は、現在の私には新鮮であった。縄文人の思惟する霊魂の不滅は、現代流に例えれば、人間の遺伝子に相当するというのだ。個人としての人間そのものは死ぬわけだが、その遺伝子は子、孫へと基本的には永遠に受け継がれていく。確かに、そういう意味では『霊魂』は不滅と言えよう。
***
霊魂と肉体についての話で思い出した小説がある。アントニオ・タブツキの『インド夜想曲』という面白いミステリー中篇が其れだが、そのなかで、或る会話が交わされる個所がある。詳しくは忘れたが以下のような趣旨の会話だったと記憶している。
: 魂における肉体は一体何でしょうね?
:まぁ、鞄(かばん)みたいなものなんでしょうね。
------------------
たしかに、この例えも一理あるような気がするが、縄文人は此の回答には恐らく納得しそうもない。何故なら・・・其の説明は面倒になるから知りたい方は本書を『流し読み』されたし。
***
縄文人は光(or此の世)と闇(orあの世)を循環する一繋がりの世界と捉えていたようだ。この本の著者は其れを『メビウスの帯』や『クラインの壺』に例えているのが面白かった。『メビウスの帯』や『クラインの壺』とは表裏の存在しない数学上の実体だが、いかにも此の著者らしい例えであった。
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本書は『縄文文化』について随分、丁寧に解説しているから、その方面に興味があるかたは、ちょっと覗いてみてもよいかも知れない。

2015年2月14日土曜日

『夜と霧(新版』(V.E.フランクル、みすず書房)

本書は1977年に、V.E.フランクルによってなされた新版で、池田香代子によって和訳された本だ。
なぜV.E.フランクルは旧版(1956年)の改訂版(新版)を世に出したのか?

その理由と思われることは此の本の最後に『訳者あとがき』に書かれているから、興味あるかたは其れを読めば参考になるだろう。

私はアラン・レネの記録映画『夜と霧』(日本公開は1961年)は、随分昔、観ているが、V.E.フランクルの此の本(新版)を読むのは初めてだ。旧版も読んではいない。

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今や知らない人はいない此のホロコーストの実態は、映画では、我々は言わば其の『結果』を目撃するだけに終わるのだが・・・もう其れだけで此の実態の地獄絵図を知るのは充分過ぎるのだが・・・しかし、此の実態の言わば『過程』を知らされるのが此の本だ。

心理学者である著者は此の本の最初で、『これは事実の報告ではない、体験記だ。』と書いている。その体験が如何なるものだったかを知るには此の本を読んでみるしかない。

そして、その体験の多くの『出来事』において心理学的説明がなされている。

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私は此の本を読みながら常にアーサー・ケストラーの『ホロン革命』(工作舎)の記述を想起していた。なぜ、人間はこんなに残酷になれるのか?

その疑問の私での回答は『ホロン革命』の中に明記してある。即ち

『人類の苦悩は其の過剰な<攻撃性>にあるのではなく、其のなみはずれた<献身性>にある。』 

この文章だけでは意味は伝わらないかも知れない。その意味を知りたい人は此の本のプロローグの『5.人間の悲劇を生む過剰な献身』を読めば分かるはずだ。

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この本『夜と霧』から我々は学ぶべきことは山程あるだろう。それも各自が読んで知るしかない。ここでは私が印象に残ったことを一つだけ挙げておこう。

『生きるとは、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。』(130頁)

この行為が、あのような地獄絵図の中では如何に困難なことか!!

 しかし、それ故にこそ、其の行為が被収容者たちの究極的な救済の道だったのかも知れない。

2015年1月19日月曜日

『初蕾』(山本周五郎)

掲題の短編は一か月程前にも読んだ。前回、読んだのは『山本周五郎中短編秀作集』(小学館)に収められていたものだが、今回、読んだのは『月の松山』(新潮文庫)に収められたものだ。

同じ小説を、一か月足らずの間に二度も読むということは私は初体験だ。
それだけ、私は此の短編が好きになったということだ。

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『幾十万という人間の中から一人の男と一人の女が結びつく、これはそのまま厳粛で神聖なことだ。』

これは掲題の短編に出てくる言葉だ。

この言葉自体は、お説教臭い言葉だ。私みたいなヒネクレタ人間は、こういう言葉を見ただけで子供じみた反感を感じ、その本を放り投げる悪癖がある。

しかし此の小説に登場する『お民』が、そうであるように、私は此の言葉を素直に受け入れることができる。

この言葉の真実さを、『そうだよな』と私も素直に思うのだ。

それこそ山本周五郎という作家の力量であり、他の作家には換え難い魅力と言えるだろう。

余計なモノを排した、墨絵のような簡潔な文章から成る此の短編は、私の最も好きな『山本周五郎の世界』の一つとなった。 

2015年1月18日日曜日

『源蔵ケ原』(山本周五郎)

サザエさんは一通り読んだ?ので、再び山本周五郎を読んでいる。

私は本は図書館から借りるのを原則としているが、我が町の図書館にある山本周五郎の短編は全て読もうと思っているが果たしてどうなるか。

別に義務などないから、もし別のものが読みたくなったら適当に中断するつもり。

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現在、読んでいるのは新潮文庫の『花の刀も』だが、この他に7篇の短編も収められている。

山本周五郎の小説(短編だが)は全て面白いが、この本で特に面白かったのは、
『枕を三度たたいた』と『源蔵ケ原』だった。

内容は省略するが、前者のストーリーの最後のドンデン返しが面白い。

また後者は、作者の最晩年の作品らしく、無用なモノを省略した「老練巧者の筆ならでは」の佳品だ。

ともかく読み終わった後の気持ちの良さは格別だ。

2015年1月1日木曜日

『おさん』 (山本周五郎)

山本周五郎の作品は今迄数多くの全集が出版されてきたのだろうが、2005年に『山本周五郎中短編秀作選集・全5巻』(小学館)が出版された。

この選集の特徴は山本周五郎の中短編の作品を以下の五つのキーワードで編集されていることだ。

そのキーワードは『待つ』『惑う』『想う』『結ぶ』『発つ』であり、それらの各々のキーワードで各巻が編纂されている。

従って、この選集5巻を読めば、山本周五郎の中短編の代表作を一通り読めることになる。

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私は此の数か月の間、此の選集を少しずつではあるが読み通した。各巻には約15,6の中短編が掲載されていて、いずれの作品も、まさに山本周五郎ワールドであり、しみじみと味わい深く読んだ。

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なかでも印象に残ったのは、第4巻『惑う』に収められた『おさん』であった。

内容は省略するが、フラッシュバックの技法が駆使されていて、短編であるにも関わらず話の内容の陰翳が鮮やかであって、読後、暫く私は茫然としていた。

丁度、良き映画の長いエンドロールを、いつまでも見続けているときのように、しみじみとした余韻を私は密かに味わったのだった。

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山本周五郎・・・というより小説一般を読むのは私は実に半世紀ぶりなのだが読書というものの奥行きの深さを再認識し始めたのは、ここ数年と言ってよい。

それまでの私の「読書」は仕事の専門書を読むことであって、それは義務以外のなにものでもなく、およそ楽しいものではなかった。

私は今更ながら読書の楽しみを再発見しつつある