2015年5月18日月曜日
『山の人生』 (柳田国男)
掲題の本の第一章に『山に埋もれたる人生のあること』と題された民俗学的記録がある。
その第一章に『山に埋もれたる人生のあること』と題された比較的短い文章がある。
以下のように書き始められている。
『今では記憶している者が、私のほかにはあるまい。三十年あまり前、世間がひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)で斬り殺すことがあった。』
この後、私の本で一頁も満たない文章で終わっているから興味あるかたは読んでもらいたいが、私が此の話で常に不思議に思うことがある。
それは斬り殺される子供が自ら斬り殺されることを嘆願していることだ。
***
その日、男(子供の親)が昼寝から覚めると・・・
『二人の子供が、しきりに何かしているので、傍へ行ってみたら一生懸命に仕事に使う斧(おの)を磨いでいた。阿爺(おとう)これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。』
そこで男は其の二人の首を打ち落としてしまった。
という話である。何故、この二人の子供が殺されることを嘆願したかの説明は一切ない。
それが私には不思議なのだ。
***
『今では記憶している者が、私のほかにはあるまい。』と冒頭、柳田国男は書いているから、この記録は、あまり世間には知られていない事実ないし伝承らしい。
その気になれば、なんでも理由はつけられようが、当の柳田国男が其れについて何も語ろうとはしていない。
だから、余計、私には不思議に思えるし、また『山の人生』というものの真実が、私には見えてくるような気がする。