本書は1977年に、V.E.フランクルによってなされた新版で、池田香代子によって和訳された本だ。
なぜV.E.フランクルは旧版(1956年)の改訂版(新版)を世に出したのか?
その理由と思われることは此の本の最後に『訳者あとがき』に書かれているから、興味あるかたは其れを読めば参考になるだろう。
私はアラン・レネの記録映画『夜と霧』(日本公開は1961年)は、随分昔、観ているが、V.E.フランクルの此の本(新版)を読むのは初めてだ。旧版も読んではいない。
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今や知らない人はいない此のホロコーストの実態は、映画では、我々は言わば其の『結果』を目撃するだけに終わるのだが・・・もう其れだけで此の実態の地獄絵図を知るのは充分過ぎるのだが・・・しかし、此の実態の言わば『過程』を知らされるのが此の本だ。
心理学者である著者は此の本の最初で、『これは事実の報告ではない、体験記だ。』と書いている。その体験が如何なるものだったかを知るには此の本を読んでみるしかない。
そして、その体験の多くの『出来事』において心理学的説明がなされている。
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私は此の本を読みながら常にアーサー・ケストラーの『ホロン革命』(工作舎)の記述を想起していた。なぜ、人間はこんなに残酷になれるのか?
その疑問の私での回答は『ホロン革命』の中に明記してある。即ち
『人類の苦悩は其の過剰な<攻撃性>にあるのではなく、其のなみはずれた<献身性>にある。』
この文章だけでは意味は伝わらないかも知れない。その意味を知りたい人は此の本のプロローグの『5.人間の悲劇を生む過剰な献身』を読めば分かるはずだ。
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この本『夜と霧』から我々は学ぶべきことは山程あるだろう。それも各自が読んで知るしかない。ここでは私が印象に残ったことを一つだけ挙げておこう。
『生きるとは、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。』(130頁)
この行為が、あのような地獄絵図の中では如何に困難なことか!!
しかし、それ故にこそ、其の行為が被収容者たちの究極的な救済の道だったのかも知れない。