私は学生時代・・・今から半世紀程前だが・・・大学の生協で買った『墨東綺譚』(永井荷風)の文庫本を今でももっている。 私としては稀有なことだ。
私は永井荷風が特に好きなわけでもないのだが、今でも記憶していることがある。
私が高校生の時だったと思うが、私に文学好きな友人がいて、或る朝、彼に会ったとき 『おい、永井荷風が死んだぞ』 と知らされた。荷風の死にざまの故か、この友人の声が今でも私の耳の奥で聞こえるような気がする。
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物持ちの悪い私が半世紀程も此の文庫本を、ともかくも持っているのは、『墨東綺譚』の最後の文章が好きだからだ。
引用しよう。
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花の散るが如く、葉の落るが如く、わたくしには親しかった彼の人々は一人一人相次いで逝ってしまった。わたくしも亦彼の人々と同じやうに、その後を追ふべき時の既に甚だしくおそくないことを知ってゐる。晴れわたった今日の天気に、わたくしはかの人々の墓を掃きに行かう。落葉はわたくしの庭と同じやうに、かの人々の墓をも埋め尽つくしてゐるであらう。
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思えば、私自身も今や『その後を追ふべき時の既に甚だしくおそくないことを知ってゐる。』歳になってしまった。