この一日での舞台役者は日本帝国の中枢部の人々であり、またポツダム宣言受諾を反古しようとしてクーデターを計画し敗残していく陸軍将校たちである。
彼ら役者たちが何よりも重要視していたのが『天皇を主体とする国体保持』であった。
その重要視さ加減は、恐らく今日の人々にとっては呆(あき)れる程のものであり、理解不能な狂気にも見える。例えば、一部の陸軍将校たちの国体観は以下のようなものであったという。
『建国以来、日本は君臣の分の定まること天地のごとく自然に生まれてものであり、これを正しく守ることを忠といい、万物の所有はみな天皇に帰するがゆえに、国民はひとしく報恩恩赦の精神に生き、天皇を現人神(あらひとがみ)として一君万民の結合をとげるーーーこれが日本の国体の精華である。』
上記の文章を本気で信じている人が現在いるだろうか。
その証左に、或るサイトでのQ/Aがあるから無断で引用みよう。
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(質問)
『国体の護持』というのはそれほど大切なのですか? ご存知のように日本はポツダム宣言を「国体の護持」の一条件のみを付けて受諾しました。「全面的武装解除」や「責任者の処罰」は行わないなどという条件は付けませんでした。それはこれらの事柄よりも「国体の護持」の方が大事だったことを意味します。
また、連合国が国体の護持を明確に否定した場合はポツダム宣言受諾はありえなかった、即ち本土決戦になったと思われます。なぜに国体の護持がそこまで大切なのでしょうか。皆さんのご意見をお待ちしています。
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(回答)
相変わらず言葉の遊びが多いですね。言葉の定義の問題ではありません。「国体」とは大日本帝国のあり方、即ち明治に起こった新興宗教とも言うべき天皇教、国家神道に基づいて神である天皇が元首であり国の統治者である日本の形態です。
ポツダム宣言について日本は国体護持に関してぐずぐず言いましたが、アメリカは「天皇については日本国民の自由意志で決めればいい」と言いました。軍部と政府トップの一部は、それでは困る、と。つまりそれまでの様に神様である天皇を国の統治者とする国体にこだわったのです。その二週間で原爆を二発も落とされ、ソ連(ロシア)は中立条約を破って侵略してきた。
こうして、死ななくてもよかった日本人を更に数十万も殺して守ろうとした「国体」とは一体なんだったのでしょうか?そして国中が焼け野原になり、そろそろ餓死者も出始めていた日本です。一般国民が地獄の苦しみを味わっている事などは一切考慮になく、「国体の護持」が唯一、最大の降伏条件だった大日本帝国とはどんな国だったのでしょうね。
しかもたった6年の占領が終わって既に60年、国体の「こ」の字も出てきません。そしてその為に日本人が困っているという話も聞きません。いかに薄っぺらい観念だった証拠ではないでしょうか。
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昭和20年8月15日をめぐる24時間、及び、此の国の先の敗戦の戦争中には、このような『国体保持』の信者のみが正常者であった。
と、こんなふうに今私が断定できるのも、私が幸いにして其の時代に生まれてこなかったという単なる偶然によるものだろう。逆に此の掲題の本での登場者たちの壮絶な悲劇は、単に其の時代に生まれたということに過ぎない。
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戦争というものの、あらゆる悲劇・悲惨さの本質は、それが行われた時代、地域、民族とは無関係だと私は思っている。
その悲劇・悲惨さの本質は人類の脳の欠陥に依るものだと思っている。
その欠陥とは、この日記で何度でも書いてきたように、アーサー・ケストラーの『ホロン革命』で指摘している欠陥であって、具体的に言えば、人類という種のもつ『過剰な献身性』がそれだ。
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しかしながら、『天皇を主体とする国体保持』は、少なくとも今日において通用しないのは当然だとして、今日でも此の国で問題なのは『天皇なるもの』及び『天皇制』だろう。
少し熟慮しなければならないが、私における『天皇』とは、或る種の『大嘘』だと一応理解している。『大嘘』だが、私のセンチメンタリズムは以下の歌にも共鳴していることも告白しなければならない。