沢村貞子に『わたしの下町』という著書があって、面白そうだから掲題の本を図書館から借りてみたら、それは沢村貞子が選んだ30名程の有名人の『下町』アンソロジーであった。
そのアンソロジーは全て東京の、いわゆる下町であって、その『思い出話』ばかりであった。『昔の下町はね・・・』と言った回顧趣味の話ばかりであった。
そもそも私は旧東海道・金谷(かなや)宿の産だから、縁(えん)も縁(ゆかり)もない東京の下町の回顧話など興味も関心もないものだから、この下町アンソロジーの一篇を除いて、全て斜め読みした。つまらないからである。
東京の下町の此のような回顧話には、その背後に或る種の臭みを私は感じた。いわゆる『江戸っ子振ることの臭み』である。
書いている当人には恐らく気づかないだろうが、東京・下町の此のような回顧趣味は、地方人・・・なんという時代遅れの語彙だろう・・・には、得てして或る嫌味と臭みを感じさせるものなのだ。だから、私は読んで面白くもないから斜め読み飛ばした。
ただ、このアンソロジーで1篇だけは例外的に面白かった。
それは永六輔の『肩身の狭い町』という随筆で、ここには単なる回顧趣味で終わっていない、現在の東京という『町』への鋭い批判・・・しかし決してシャチホコバラナイ・・・があった。この文章には野暮な甘ったれた回顧趣味は無かった。