私は、かって、NECのPC-VANのBOOKS SIG (此のサイトのコミュニティに相当する) で盛んに書き込みをしていた。このことは此の日記で何回か書いた。
そのSIGに、いろいろな人が書き込みをしていた。
もう半世紀以上の昔のことである。
以前、或る人が2chで、当時のBOOKS SIGでの書き込みのログの一部を紹介していた。その中に、私が書いた「ホーキング最新宇宙論」の感想もあった。
書いた日付を見ると'90/12/18となっている。私には懐かしくもあるので、当時、書いたものを此処にコピ゜ペしておこう。
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カミュは『シジフォスの神話』で(と言っても最初の処しか読んでないけどね、ガリレオの発見した科学的真理を評して”そんな真理は火あぶりにされるには値しない”と書いている。そして次ぎのように続けている。
『地球が太陽の周りをまわるのか太陽が地球の周りをまわるのか、これは実際のところどうでもよいことなのだ。言ってしまえば、これは下らない問題だ。これに反して私は、多くの人間が、人生は生きるに値しないと考えるが故に死んでいくのを眼にしている。(中略)だから、私は人生の意味こそ最も緊急な問題であると判断する。』
私は、このホーキングの一般読者向けの最新の講演集を読みながら、何度も上記のカミュの言葉を思い出した。
この宇宙はホーキングの言うように、それが物理学の言葉であるにせよ、完全に完璧に語り尽くされる時がくるのだろうか。ホーキングは、今世紀中にそれが可能だろうと言う。かの天才・ホーキングの予測なんだから、恐らく、そうだろう。
完璧といっても、不確定性原理などの規定するあいまいさは残存するにせよ、われわれ同胞の人類は、この世の究極のありようを知ってしまうことになる。本当だろうか。そして、もし、それが本当に実現したとき、上記のカミュの言葉はどういう色彩をもってくるのだろうか。
新聞をみれば、今日もまた、沿岸情勢がどうのこうのと騒がしい。カミュの言うように相変わらず人間どもは ”自分たちに生存理由を与える観念や幻想のために殺し合いをするという自己撞着を犯している。”
E=mC^2 は、その神秘的とも思われる美しさをよそに、よく云われるように、人類はその方程式から原爆をも導きだした。
神とは何だか私は知らないけれど、しかし、現代の帝王である物理学が、もし、神は不要だと断言してしまったなら、たとえ、神の無用さが”事実”であったにせよ、それを断言してしまったなら、そのあと、なにが人間に残されるのだろうか。人類の知性の勝利?
(引用、終わり)
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私は此の昔のロクをみながら、私は相変わらず今と変わっていないなと苦笑する。
このログで私は科学を批判的に書いているが、2chで此のログを紹介していた人は、もともと科学に興味がないと思われる人だった。いわゆる文系の書き込みのみしていた。だから、その故に、この私のログをも紹介したのだろう。
私は全面的に、ではないが科学を否定する人間ではない。
***
余談だが、上のログに書いてあるホーキングの予想は完璧に外れた。私の独断だが、今世紀 (21世紀) でも不可能だろう。
2016年7月6日水曜日
月刊誌『トランジスタ技術』
現在も此の雑誌は健在のようだ。私には懐かしい雑誌の一つである。
***
私が大学の理工学部に在籍していた頃、『真空管回路』という講義があった。昭和42年頃である。
トランジタ回路についての講義もあるにはあったが、その内容は主としてトランジスタの原理が主だったと記憶している。トランジスタの応用技術についての講義は少なかったように思う。
私の学部での卒業論文の題名は『トランジスタの応用』だったと記憶している。
当時はトランジスタはゲルマニュウム・トランジスタが市販され始めた頃で、その半導体のh-fe の温度特性は非常に悪く、その特性の悪さを逆利用した卒業論文だった。
私が卒論として其のテーマを選んだ理由は、少しでもトランジスタの応用技術を身につけたかったからだった。
しかし、学校を卒業して或る電気機器製造会社に入社して思い知らされたのは、私の電子回路の応用技術の貧弱さだった。
回路理論は、それなりに自信はあったが、回路応用技術の貧弱さは、実際に或る回路の設計を任された時、無惨にも露呈した。
***
その頃の回路設計で使用れる部品は真空管が主体で、未だ半導体は使われていなかった。その会社では退社後に勉強会があって、その内容は「デジタル回路」だった。その内容も、ANDとは? ORとは? とは、という初歩中の初歩だった。
***
ともかく、電気機器製造会社の設計部門で必須なのは、当然のことながら、任された機器の回路の実際の設計である。その際、学校での専門の教科書は、私には極めて頼りにならなかった。勿論、原理は書いてある。しかし私には非実用的に過ぎた。
恐らく其の責任は私自身にあることは当時も自覚していたが、機器の回路を実際に設計するとき、自身の応用技術の、どうにもならない貧弱さには閉口したものだ。
***
私は其の会社を3年勤めて退社したのだが、その頃、月刊誌『トランジスタ技術』の存在を知った。この雑誌は題名どおり、トランジスタ技術、とりわけ其の応用技術を主として書かれた雑誌であった。まさに私向けの雑誌であった。
その頃、発光ダイオードやオペアンプ等が市販し始めたころで、その部品の応用の方法が解説されていた。私には救いの雑誌だった。
***
この頃から電子・電気回路関連の応用に関する本が市販され始めた。例えば、伊藤健一さんの『アース回路』など。私の弱点を補ってくれる本が、次から次へと市販され始めた。
***
勿論、電子・電気回路技術の根底には、電磁気学や回路理論等が根底にあり、それはそれでエンジニアたちには重要である。
しかし、エンジニアたちが、電気機器製造会社で求められるのは、先ず実際の応用技術である。理論は知っていても設計等が出来ないのでは話にならない。
***
というわけで、私は、月刊誌『トランジスタ技術』は実に重宝な雑誌であり続けた。私が勤めた電気機器製造会社の設計部門の在職中は、この月刊誌は、私にとって重要な「本」の一つだった。
***
余談だが、伊藤健一さんは私は実際見たことがある。勿論、伊藤さんは私を知るはずがない。
というのは、私が勤めた会社に伊藤さんが居たからである。伊藤さんは、確か其の会社の「保健室」の上の階の専用部屋に居た記憶がある。
***
私が大学の理工学部に在籍していた頃、『真空管回路』という講義があった。昭和42年頃である。
トランジタ回路についての講義もあるにはあったが、その内容は主としてトランジスタの原理が主だったと記憶している。トランジスタの応用技術についての講義は少なかったように思う。
私の学部での卒業論文の題名は『トランジスタの応用』だったと記憶している。
当時はトランジスタはゲルマニュウム・トランジスタが市販され始めた頃で、その半導体のh-fe の温度特性は非常に悪く、その特性の悪さを逆利用した卒業論文だった。
私が卒論として其のテーマを選んだ理由は、少しでもトランジスタの応用技術を身につけたかったからだった。
しかし、学校を卒業して或る電気機器製造会社に入社して思い知らされたのは、私の電子回路の応用技術の貧弱さだった。
回路理論は、それなりに自信はあったが、回路応用技術の貧弱さは、実際に或る回路の設計を任された時、無惨にも露呈した。
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その頃の回路設計で使用れる部品は真空管が主体で、未だ半導体は使われていなかった。その会社では退社後に勉強会があって、その内容は「デジタル回路」だった。その内容も、ANDとは? ORとは? とは、という初歩中の初歩だった。
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ともかく、電気機器製造会社の設計部門で必須なのは、当然のことながら、任された機器の回路の実際の設計である。その際、学校での専門の教科書は、私には極めて頼りにならなかった。勿論、原理は書いてある。しかし私には非実用的に過ぎた。
恐らく其の責任は私自身にあることは当時も自覚していたが、機器の回路を実際に設計するとき、自身の応用技術の、どうにもならない貧弱さには閉口したものだ。
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私は其の会社を3年勤めて退社したのだが、その頃、月刊誌『トランジスタ技術』の存在を知った。この雑誌は題名どおり、トランジスタ技術、とりわけ其の応用技術を主として書かれた雑誌であった。まさに私向けの雑誌であった。
その頃、発光ダイオードやオペアンプ等が市販し始めたころで、その部品の応用の方法が解説されていた。私には救いの雑誌だった。
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この頃から電子・電気回路関連の応用に関する本が市販され始めた。例えば、伊藤健一さんの『アース回路』など。私の弱点を補ってくれる本が、次から次へと市販され始めた。
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勿論、電子・電気回路技術の根底には、電磁気学や回路理論等が根底にあり、それはそれでエンジニアたちには重要である。
しかし、エンジニアたちが、電気機器製造会社で求められるのは、先ず実際の応用技術である。理論は知っていても設計等が出来ないのでは話にならない。
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というわけで、私は、月刊誌『トランジスタ技術』は実に重宝な雑誌であり続けた。私が勤めた電気機器製造会社の設計部門の在職中は、この月刊誌は、私にとって重要な「本」の一つだった。
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余談だが、伊藤健一さんは私は実際見たことがある。勿論、伊藤さんは私を知るはずがない。
というのは、私が勤めた会社に伊藤さんが居たからである。伊藤さんは、確か其の会社の「保健室」の上の階の専用部屋に居た記憶がある。
2016年4月1日金曜日
『安井夫人』(森鴎外)
或る人が言うには鴎外は女性アァンが意外と多いそうだ。
尤も今や年配者だろうが。
『安井夫人』の、佐代
『山椒太夫』の、安寿
『最後の一句』の、いち
『御持院河原の敵討』の、りよ
『澁江抽斎』の、五百
これらの女性たちには共通点がある。
そのなかで私が際立って好きなのは『安井夫人』の、「お佐代さん」。
鴎外は以下のように書いている。
『お佐代さんは必ずや未来に何物かを望んでいただろう。そして瞑目するまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれていて、あるいは自分の死を不幸だと感ずる余裕をも有せなかったのではあるまいか。その望みの対象をば、あるいは何物ともしか弁識していなかったのではあるまいか。』
-------------------------
鴎外の後期の作品の魅力の一つは、このような「人知を超えた、なにものか存在」が通底しているように私には見受けられる点にある。ある種の運命論者に見える。
例えば、『御持院河原の敵討』において、「神仏のご加護」をも必ずしも否定していないように見受けられる。
また『雁』の「お玉」と岡田も、ある運命の糸に、あやつられている。
そこが漱石とは決定的な違いだと私には思われる。
それにしても、お佐代さんの視線は何処へ向けられていたのだろうか? 今生の世俗でないことは確かである。
尤も今や年配者だろうが。
『安井夫人』の、佐代
『山椒太夫』の、安寿
『最後の一句』の、いち
『御持院河原の敵討』の、りよ
『澁江抽斎』の、五百
これらの女性たちには共通点がある。
そのなかで私が際立って好きなのは『安井夫人』の、「お佐代さん」。
鴎外は以下のように書いている。
『お佐代さんは必ずや未来に何物かを望んでいただろう。そして瞑目するまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれていて、あるいは自分の死を不幸だと感ずる余裕をも有せなかったのではあるまいか。その望みの対象をば、あるいは何物ともしか弁識していなかったのではあるまいか。』
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鴎外の後期の作品の魅力の一つは、このような「人知を超えた、なにものか存在」が通底しているように私には見受けられる点にある。ある種の運命論者に見える。
例えば、『御持院河原の敵討』において、「神仏のご加護」をも必ずしも否定していないように見受けられる。
また『雁』の「お玉」と岡田も、ある運命の糸に、あやつられている。
そこが漱石とは決定的な違いだと私には思われる。
それにしても、お佐代さんの視線は何処へ向けられていたのだろうか? 今生の世俗でないことは確かである。
2016年2月9日火曜日
『檸檬』(梶井基次郎)
久しぶりに再読。
***
----あるいは不審なことが、逆説的な本当であった。それにしても心という奴は何という不思議な奴だろう。
***
ホントニ ソウダナ。
オレも昨夜は一睡もできなかった。
夜だからといって眠らなくたっていいのに、夜になると、オレの詰まらぬ『心』が冴え冴えとオレの神経を尖らせるのだ。
***
夜熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。
彼らは何をするのか。夜を現存させているのだ。
***
----あるいは不審なことが、逆説的な本当であった。それにしても心という奴は何という不思議な奴だろう。
***
ホントニ ソウダナ。
オレも昨夜は一睡もできなかった。
夜だからといって眠らなくたっていいのに、夜になると、オレの詰まらぬ『心』が冴え冴えとオレの神経を尖らせるのだ。
***
夜熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。
彼らは何をするのか。夜を現存させているのだ。
(モリス・ブランジュ)
2016年1月14日木曜日
『医学の勝利が国家を滅ぼす』(補足)
限りある国家予算(つまり私たちが支払う税金)と、医学の進歩に伴って限りなき増加を続ける医療費。その折り合いをどうするか。これは今後ますます私たちにとって避けては通られない難問です。
この里見清一という臨床医の特別寄稿記事での「処方箋」は、(読んでもらえるのが一番いいのですが)、現実の臨床現場で働いている医師の率直な提案です。
此の世を去る最も良い方法は、他人の迷惑をかけずに、また自身のQOLを下げることなくポックリとオサラバすることです。
しかし、そんなに上手くはいかないのが現実。
***
里見医師はこの投稿記事を以下のように締めくくっています。
『突き詰めると、我々は、「人間はいつまで生きる(生かされる)権利があるのか、「人間は、はいつまで生きる(生かされる)義務があるのか」という問題に直面しているのである。そしてこの難問を我々に突きつけたのは、人類の進歩による「医学の勝利」に他ならない。だから、我々に逃げ道はない。覚悟を決めるときである。』
***
私は里見医師の言うとおりだと思います。
我々は、いわば、深沢一郎の『楢山節考』の主人公の「おりん婆さん」の立場にいるのです。このお婆さんの村では70歳になったら山に捨てられる掟がある。誰が悪いのでもない。この村には、そのような、お婆さんを養うほどの余裕はないからです。
このお婆さんは70歳を前にしても歯も一本も欠けておらず、自らそれを恥じて、わざわざ折る。そして孝行息子に背負されて死の旅路へと出向くのです。村の掟を守るために・・・
2016年1月12日火曜日
『医学の勝利が国家を滅ぼす』
新薬の公的コストが国家財政の大きな負担となり、そのまま放置すれば国家財政破綻となり日本国は沈没に帰す、という話は世事に疎い私の耳にも聞こえてくる。
この国家的な危機についての解説が、先日、図書館から借りた月刊誌『新潮45』(2015年11月号)に掲載されている。里見清一という臨床医の特別寄稿『医学の勝利が国家を滅ぼす』がそれだ。
***
この特別寄稿は、臨床医の立場から、私のようなド素人でもナルホドと理解できる言わば啓蒙の記事であり、警鐘の記事でもある。
確かに此の問題を放置すれば日本国沈没は必須であろうことは、此の記事に書かれた具体的事例を読めばよく分かる。
***
日本国の其の財政破綻を救う唯一の処方箋は、筆者によれば以下の結論となる。
即ち、以下を法制化する。
『75歳以上の全ての日本国民の患者の延命治療は禁止し、対症療法のみとする』
***
この法制化の理由と根拠を、此の記事(5頁)で丁寧に具体的に分かり易く説明していて私も大賛成である。
人生に病はつきものである。病者にとって如何に其のQOL(生活の質)を保つか、それは我々にとって極めて身近な問題である。
***
できたら、この記事を読まれることを勧める。
この国家的な危機についての解説が、先日、図書館から借りた月刊誌『新潮45』(2015年11月号)に掲載されている。里見清一という臨床医の特別寄稿『医学の勝利が国家を滅ぼす』がそれだ。
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この特別寄稿は、臨床医の立場から、私のようなド素人でもナルホドと理解できる言わば啓蒙の記事であり、警鐘の記事でもある。
確かに此の問題を放置すれば日本国沈没は必須であろうことは、此の記事に書かれた具体的事例を読めばよく分かる。
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日本国の其の財政破綻を救う唯一の処方箋は、筆者によれば以下の結論となる。
即ち、以下を法制化する。
『75歳以上の全ての日本国民の患者の延命治療は禁止し、対症療法のみとする』
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この法制化の理由と根拠を、此の記事(5頁)で丁寧に具体的に分かり易く説明していて私も大賛成である。
人生に病はつきものである。病者にとって如何に其のQOL(生活の質)を保つか、それは我々にとって極めて身近な問題である。
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できたら、この記事を読まれることを勧める。
2015年11月25日水曜日
『続・悩む力』(姜尚中著)
私は阿呆である。Aという心配が済めば、Bという心配をしだし、それが済むと、Cという心配をしだし、それが済むとDという心配をしだし・・・、つまり私は心配を常に探している阿呆である。だから、毎日毎日が不安の日々の連続であり平穏なときがない。
***
そんな阿呆な私にとって、掲題の本は心に沁みた。痛いほど理解できた。本というものの有難さを、あらためて身に沁みた。
もちろん此の本に書かれている事柄は、私如き阿呆のレヴェルを超えているが、現代を生きる人間の『不安と悩み』という点においては全く共通しており、私に多くの示唆を与えてくれた。
***
自我というものが引き裂かれ、なんの拠り所もなくなりつつある私たち現代人の『不安と悩み』。
なぜ、そうなったのか。この本はソコを丁寧に解説してくれている。
その解説は決して他人事ではなく、我が身の今日ただいまの切実な問題として、繰り返すが痛いほど私は理解できた。
***
この本は、余生というものが残り少なくなった私にとって、あるいは最後の貴重な本となるだろう。
***
そんな阿呆な私にとって、掲題の本は心に沁みた。痛いほど理解できた。本というものの有難さを、あらためて身に沁みた。
もちろん此の本に書かれている事柄は、私如き阿呆のレヴェルを超えているが、現代を生きる人間の『不安と悩み』という点においては全く共通しており、私に多くの示唆を与えてくれた。
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自我というものが引き裂かれ、なんの拠り所もなくなりつつある私たち現代人の『不安と悩み』。
なぜ、そうなったのか。この本はソコを丁寧に解説してくれている。
その解説は決して他人事ではなく、我が身の今日ただいまの切実な問題として、繰り返すが痛いほど私は理解できた。
***
この本は、余生というものが残り少なくなった私にとって、あるいは最後の貴重な本となるだろう。
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