2016年8月15日月曜日

『空車』(森鴎外)について

私は此の『空車』の後半部分を読むたびに、鴎外の『妄想』に書かれた或る箇所を連想する。その箇所を引用してみよう。(『空車』の前半部分は私は興味がない。)
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(前略)自分は辻に立っていて、たびたび帽をぬいだ。昔の人にも今の人にも、敬意を表すべき人が大ぜいあったのである。
帽はぬいだが、辻を離れてどの人かのあとについて行こうとは思わなかった。多くの師にはあったが、一人の主にはあわなかったのである。
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此の空車は鴎外の主のメタファーかも知れない。
いずれにしても『空車』の後半の文章は鴎外以外には書けない文章だと私は思っている。

現代日本語で書かれた最高の文章の一つだとも私は思っている。