2016年8月10日水曜日

『郵便局』(萩原朔太郎)

私の好きな詩人の一人は萩原朔太郎だ。
彼の作品で、とりわけ好きなものの一つに、『郵便局』という散文詩がある。
以下のように始まる。
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郵便局といふものは、港や停車場と同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるじあの存在である。(後略)
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私は若い頃、「悲哀:pity」という感情に強く惹かれた。
その件に関しては以前の記事『「獄中記」 (オスカー・ワイルド)』に書いた。
https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=1298455732640267465#editor/target=post;postID=2685477677214103278;onPublishedMenu=allposts;onClosedMenu=allposts;postNum=1;src=postname
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私が惹かれた「悲哀:pity」という、いわば文脈に、掲題の詩があった。
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話が飛ぶが、漱石の『三四郎』に、『かわいそうだたあ、ほれたってことよ』というセリフが出てきたと記憶しているが・・・私の記憶違いかも知れない・・・このセリフのネタ元は『Pity's akin to love.』てなコトを私が知ったのは、この頃である。
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pity なる感情こそ、今生で最も崇高な感情だと若い頃の私は信じて止まなかった。
G.マーラーの音楽も然り。
萩原朔太郎の『郵便局』も然り。
O.ワイルドの『獄中記』も然り。
そして此の心情に通底している釋超空の歌・詩も然り。etc etc
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萩原朔太郎に『郷愁の詩人・与謝蕪村』という作品を「愛して止まなかった」・・・あまり好きな言葉ではないが他に変わる日本語がないから使わざるを得ない・・・のも其の頃だ。特に、この作品の序文に私は惚れ込んだものだった。
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現在でも基本的には、この信条(心情)は変わっていない。