2014年8月12日火曜日

『我が人生の時の時』(石原慎太郎著)

『我が人生の時の時』(石原慎太郎著、新潮社)

私の『本棚』はダンボール一箱だが (数年前、専門書を含めて、ほとんど捨てた) 其の中に残っている数少ない、非理系の本の一つが掲題のエッセー集である。

我が愛読書の一つと言っていいだろう。まさに、夏、読むのに最適な本である。

石原慎太郎と言えば、あの強面の意地悪爺さんの顔を不愉快に思う人が多いだろう。

私は政治に関心がないから其の方面の彼については、どうでも良い。 嫌いな人は勝手に嫌うがよい。

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此の本は彼の若き日の夏の体験が書かれている。

その体験での彼の視線は、他の人がどう思うが私には実に新鮮であって、其処には青臭い文学青年とは全く異質のものがある。

それを文学と呼ぼうが何と呼ぼうが、此れもどうでもよいことだが、海というものの不気味さと底知れなさが直截な体験として書かれている。

「おか」の鬱陶しい人間関係しか知らない輩(やから)にとっては、全くの別世界が海であって、著者は其の世界の光と闇の体験を語っている。


ショート・ショート風の短いエッセー集だから、このクソ暑い日の午後、この本を読んで海の『闇』に触れるのも一興だろう。

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作家という人種は多かれ少なかれ不可知論者・・・その正確な定義は棚上げするとして・・・だろうが、政治というクソ・リアリズムの世界の住者でもある此の本の作者が、まさに不可知論者そのものであることに意外な気がする。しかし、ならばこそ、政治などに全く関心のない私が此の短編集を愛読するのだ。

此の本の短編集に通底しているのは、まさに不可知の世界だ。

人の人生にとって最大にして最も深淵な問題は、己あるいは親しきモノの死に相違ないが、此の短編集はなんらかの形において死が直接・間接に潜んでいる。

思えば誰にとっても死ほど不可知なモノはない。作者の人生史における或る一瞬の魂の飛翔・・・それが作者の「時の時」だったのだろうが・・・が死に纏(まつ)わる話であるのは至極当然な気がするし、共感もする。