2015年7月19日日曜日

馬場あき子のエッセー

馬場あき子の『鬼の研究』が面白かったので此の人のエッセーを読んでみようと思い、図書館から借りた。三一書房の『馬場あき子全集』の第十一巻である。
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今日、返却するので印象に残った随筆のタイトルだけ自分用のメモとして書いておく。以下『季節のことば』の中の短いエッセーである。
・鯛
・羽子板
・節分の夜
・母の雪
・雛
・卒業式
・お弁当
・代用食
・朝顔
・運動会
・おにぎり
・みかん
いずれも歌人らしい陰翳のある文章であり、各々の感想を書きたいが時間がない。
また再読するときが無いとは言えない。あとがきを見ると昭和六十三年四月とある。


2015年7月10日金曜日

『かくれ里』(白洲正子著)

本書の内容は以下のように紹介されている。

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世を避けて隠れ忍ぶ村里――かくれ里。吉野・葛城・伊賀・越前・滋賀・美濃などの山河風物を訪ね、美と神秘のチョウ溢(チョウイツ)した深い木立に分け入り、自然が語りかける言葉を聞き、日本の古い歴史、伝承、習俗を伝える。閑寂な山里、村人たちに守られ続ける美術品との邂逅。能・絵画・陶器等に造詣深い筆者が名文で迫る紀行エッセイ。
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全く其のとおりの本だが、もし私が、吉野・葛城・伊賀・越前・滋賀・美濃の辺りに生まれ育ったら、この本を楽しく読めただろう。

しかし残念ながら私の在所は此の地方とは、あまりにかけ離れており、正直なところ、実感として共鳴するまでには至らなかった。ただ、この本で紹介されている伝承、習俗等の古俗には興味ぶかいモノはあった。

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随分、昔になるが、NHKの教育テレビで毎週の日曜日の午後6時より『日本の伝統と、その継承』という大変、地味なドキュメンタリーが放送されたことがある。

私は此の番組を、大変、面白く見ていたものだ。

この放送番組のコンセプトは掲題の本の内容と同じだと私は思うが、やはり、このような隠れた『民俗学』的なものは、活字より映像で見るほうが分かりやすく、また楽しめる。

特に自身が住んで所の『日本の古い歴史、伝承、習俗』については、そうだ。

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掲題の本は、1971年の出版の本だから、当時の「かくれ里」は、今や、そう呼べない所も多いだろう。

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上記した此の本の紹介文で『名文で迫る紀行エッセイ』と書かれているが、事実、そのとおりで、肩の力がぬけた簡明な文章で書かれている。

しかし、また筆者の、もろもろなもの対する造詣の深さが、なんの嫌味もなく読者に伝わってくる。

確かに名エッセイと言えるだろう。

2015年7月8日水曜日

天才と精神病質について。(アイヒバウム『天才』より)

 以下は、W.ランゲ=アイヒバウム著 島崎敏樹、高橋義夫、 訳『天才』みすず書房、2000、P130-133より抜粋である。(読み易くするために以下の文章に空欄行を入れている)
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人生では訓練と教養が不足したためにどんなに素質がゆがめられるものかということはだれでも知っているとおりであるが、精神病質的につよい感動性があると、そういう才能の素質を発展させ、拡大させ、深化させるバネとなることができる。
精神病質的な人はごくわずかな刺激にも反応して体験するので、彼の経験は拡大され、血の中のざわめき、不安、次々と変転する気分状態は多くの事物を体験させたり吟味させたりする。
こうして、回帰するもの、恒常的なもの、本質的なものに対する眼がとぎすまされる。
表象生活が大幅にゆれる性質、いつでも刺激に飢えている性質、あたらしいものに対する好奇心をもった精神病質者は、したがって数多くの領域の秘密をのぞきこむことができ、また一方これまでかくされていた自分の資質をさがしだせるのである。
こうしてはるかへだたったさまざまの領域が一つの心のなかで結合され、境界科学や境界芸術が進歩のための重要なみなもととして突然わきだしてくる。
この人たちにそなわった猪突的な感情生活、偉大な非合理性、自制の欠如、それからひきおこされるいろいろな結果がかさなって、ほかの人では到底のぞめないような経験ができあがるのである。

 第二の助長――精神病質であることはなやむことであり、彼の自己自身が永遠につづく不快の源泉でもある。彼は自己の気分になやみ、自己の意志の不安定に苦しむ。
劣等感が他人の弱点に対する眼をするどくさせ、不満によって他人と自分とを比較する。
もともと比較は知能の本質的な機能であるが、たとえば身体の不具のためにひとからとがった批評をうけた場合を考えてみればわかることだが(リヒテンベルクの場合がそれ)、悲しい経験は悔みの念をよびさまし、悔みはよりふかくその体験に眼を向けさせて反省をうながす。
そうした暗い根本気分、物事を悲観的にとる受けとり方をとおして、はじめて多くの問題に真の厳粛さがあたえられ、存在の間隙と深淵に対して眼がひらく。
鷲のような眼をもつこの苦悩が認識のために価値をもち、作品に対する拍車としての価値をもつことはうたがう余地がない。

 さらに第三の効用がある。精神病質者は夢想幻想への傾向をもち、彼の心はすぐ飛びまわりはじめ、地面をはなれることができるので、観念の流動性、あたらしい観念の連合に富んでいる。ただしそのためには、合理性――つまり理性と悟性の力が、幻想界への没入を制御できるだけ十分につよくなければならない。

 ここでことわっておきたいが、私どもは「天才的」という形容詞を高度の創造的才能として今あつかっているのであって、社会学的な意味の天才とは別の角度からみているわけである。
そこでまず第一に狭義の「天才的」なものとして、物と物の関係を洞察する才能と発明的な思考力をあげることができよう。
ある人をほかの人よりも創造的にするものは、夢の層と合理の層を迅速に振動させて合奏させるという能力で、無形の混沌とした思考が、発生と同時に理性のふるいにかけられて形をえるのであるが、こうした思考様式が、完全な健康人の場合よりも資質にめぐまれた精神病質者の場合の方が多いのはうたがいえないことだし、このような思考様式が芸術的創作にとって有利なものだということも説明するまでもない。

 それから天分にめぐまれた精神病質的な人は、環境の精神性、つまり時代精神というものをしらずしらずの間に容易に感受できるもので、いわば幾千のほそい水脈をとおして、時代の脈搏のざわめきをききとり、彼が抑制というものを知らぬ表現芸術家であるときには、その時代の歌をかるがると歌いあげることができよう。


タグ: 病跡学 精神医学

2015年7月3日金曜日

『硝子戸の中』の「女」と、『明暗』の「お延」

『硝子戸の中』の「女」と、『明暗』の「お延」

『硝子戸の中』の六章~八章は、漱石の死生観がよく表現されていると私は思う。

このエッセーが書かれたのは大正四年の一月十三日から同年二月二十三日まで。

一方、『明暗』は大正五年の五月二十六日から同年十二月十四日で未完となる(漱石の死亡による)。
 
従って、『硝子戸の中』の六章~八章に書かれている漱石の死生観は『明暗』を書いた時点でも同一と思われる。

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先日、私は『明暗』の謎について書いた。

その謎とは、この小説に登場する人物たち、特に『「お延」の運命はどのように展開するのか?』ということだった。

そのヒントが『硝子戸の中』の六章~八章に書かれているように私には感ぜられる。

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『硝子戸の中』の六章~八章で、「女」が登場する。

これらの章の内容は割愛するが、この「女」を仮に「お延」だと仮定してみよう。

この「女」は漱石に「自分は生きる続けるべきか、あるいは自身の生命を断ち切るべきか」を問うている。

この問いは、まさに私の抱く謎に直結してくる。

漱石は八章で漱石自身の内心を以下のように告白している。

『不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつゝある私は、自分の何時か一度到着しなければならない死といふ境地に就いて考えている。さうして其の死といふものを生よりも楽なものだとばかり信じてゐる。ある時はそれを人間として達し得る最高至高の状態だと思ふこともある。「死は生よりも尊い」』 

この内心を、そのまま、「女」即ち「お延」への回答とすれば、「お延」は自身の生命を断ち切るべき』ということになる。

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しかし、漱石は其のような回答を結局「女」にはしなかった。漱石の「女」への回答は『生きつづけよ』ということだった。このエッセーの其の辺りの文章を引用しよう。
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私は彼女に向かって、凡てを癒す「時」の流れに従って下れと云った。(中略)

彼女の創口(きずぐち)から滴る血潮を「時」に拭はしめようとした。いくら平凡でも生きて行くほうが死ぬよりも私から見た彼女は適当だったからである。

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『続明暗』(水原美苗著)では「お延」は自殺寸前で其れを回避していて、新生に向かうことを暗示させて終わっている。

水原美苗が『硝子戸の中』の「女」を『続明暗』の「お延」に反映させさたかどうか分からないが・・・おそらく別者と見ただろう・・・、私は「女」と「お延」を関連づけて観たい。

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「死は生よりも尊い」と漱石は内心では思っている。

しかし「女」ないし「お延」には、「生き続けよ」と答えた。
ここに漱石の逡巡ないし苦悩を我々はみることができる。

事実『硝子戸の中』の八章の最後で『私は今でも半信半疑の眼で凝っと自分の心を眺めてゐる。』と書きそえている。

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『凡てを癒す「時」の流れに従え』と漱石は言う。

これは『則天去私』と、どのような関りがあるだろうか。
私の謎がもう一つ増えた。