『硝子戸の中』の「女」と、『明暗』の「お延」
『硝子戸の中』の六章~八章は、漱石の死生観がよく表現されていると私は思う。
このエッセーが書かれたのは大正四年の一月十三日から同年二月二十三日まで。
一方、『明暗』は大正五年の五月二十六日から同年十二月十四日で未完となる(漱石の死亡による)。
従って、『硝子戸の中』の六章~八章に書かれている漱石の死生観は『明暗』を書いた時点でも同一と思われる。
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先日、私は『明暗』の謎について書いた。
その謎とは、この小説に登場する人物たち、特に『「お延」の運命はどのように展開するのか?』ということだった。
そのヒントが『硝子戸の中』の六章~八章に書かれているように私には感ぜられる。
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『硝子戸の中』の六章~八章で、「女」が登場する。
これらの章の内容は割愛するが、この「女」を仮に「お延」だと仮定してみよう。
この「女」は漱石に「自分は生きる続けるべきか、あるいは自身の生命を断ち切るべきか」を問うている。
この問いは、まさに私の抱く謎に直結してくる。
漱石は八章で漱石自身の内心を以下のように告白している。
『不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつゝある私は、自分の何時か一度到着しなければならない死といふ境地に就いて考えている。さうして其の死といふものを生よりも楽なものだとばかり信じてゐる。ある時はそれを人間として達し得る最高至高の状態だと思ふこともある。「死は生よりも尊い」』
この内心を、そのまま、「女」即ち「お延」への回答とすれば、「お延」は自身の生命を断ち切るべき』ということになる。
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しかし、漱石は其のような回答を結局「女」にはしなかった。漱石の「女」への回答は『生きつづけよ』ということだった。このエッセーの其の辺りの文章を引用しよう。
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私は彼女に向かって、凡てを癒す「時」の流れに従って下れと云った。(中略)
彼女の創口(きずぐち)から滴る血潮を「時」に拭はしめようとした。いくら平凡でも生きて行くほうが死ぬよりも私から見た彼女は適当だったからである。
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『続明暗』(水原美苗著)では「お延」は自殺寸前で其れを回避していて、新生に向かうことを暗示させて終わっている。
水原美苗が『硝子戸の中』の「女」を『続明暗』の「お延」に反映させさたかどうか分からないが・・・おそらく別者と見ただろう・・・、私は「女」と「お延」を関連づけて観たい。
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「死は生よりも尊い」と漱石は内心では思っている。
しかし「女」ないし「お延」には、「生き続けよ」と答えた。
ここに漱石の逡巡ないし苦悩を我々はみることができる。
事実『硝子戸の中』の八章の最後で『私は今でも半信半疑の眼で凝っと自分の心を眺めてゐる。』と書きそえている。
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『凡てを癒す「時」の流れに従え』と漱石は言う。
これは『則天去私』と、どのような関りがあるだろうか。
私の謎がもう一つ増えた。