掲題の短編は一か月程前にも読んだ。前回、読んだのは『山本周五郎中短編秀作集』(小学館)に収められていたものだが、今回、読んだのは『月の松山』(新潮文庫)に収められたものだ。
同じ小説を、一か月足らずの間に二度も読むということは私は初体験だ。
それだけ、私は此の短編が好きになったということだ。
***
『幾十万という人間の中から一人の男と一人の女が結びつく、これはそのまま厳粛で神聖なことだ。』
これは掲題の短編に出てくる言葉だ。
この言葉自体は、お説教臭い言葉だ。私みたいなヒネクレタ人間は、こういう言葉を見ただけで子供じみた反感を感じ、その本を放り投げる悪癖がある。
しかし此の小説に登場する『お民』が、そうであるように、私は此の言葉を素直に受け入れることができる。
この言葉の真実さを、『そうだよな』と私も素直に思うのだ。
それこそ山本周五郎という作家の力量であり、他の作家には換え難い魅力と言えるだろう。
余計なモノを排した、墨絵のような簡潔な文章から成る此の短編は、私の最も好きな『山本周五郎の世界』の一つとなった。
2015年1月19日月曜日
2015年1月18日日曜日
『源蔵ケ原』(山本周五郎)
サザエさんは一通り読んだ?ので、再び山本周五郎を読んでいる。
私は本は図書館から借りるのを原則としているが、我が町の図書館にある山本周五郎の短編は全て読もうと思っているが果たしてどうなるか。
別に義務などないから、もし別のものが読みたくなったら適当に中断するつもり。
***
現在、読んでいるのは新潮文庫の『花の刀も』だが、この他に7篇の短編も収められている。
山本周五郎の小説(短編だが)は全て面白いが、この本で特に面白かったのは、
『枕を三度たたいた』と『源蔵ケ原』だった。
内容は省略するが、前者のストーリーの最後のドンデン返しが面白い。
また後者は、作者の最晩年の作品らしく、無用なモノを省略した「老練巧者の筆ならでは」の佳品だ。
ともかく読み終わった後の気持ちの良さは格別だ。
私は本は図書館から借りるのを原則としているが、我が町の図書館にある山本周五郎の短編は全て読もうと思っているが果たしてどうなるか。
別に義務などないから、もし別のものが読みたくなったら適当に中断するつもり。
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現在、読んでいるのは新潮文庫の『花の刀も』だが、この他に7篇の短編も収められている。
山本周五郎の小説(短編だが)は全て面白いが、この本で特に面白かったのは、
『枕を三度たたいた』と『源蔵ケ原』だった。
内容は省略するが、前者のストーリーの最後のドンデン返しが面白い。
また後者は、作者の最晩年の作品らしく、無用なモノを省略した「老練巧者の筆ならでは」の佳品だ。
ともかく読み終わった後の気持ちの良さは格別だ。
2015年1月1日木曜日
『おさん』 (山本周五郎)
山本周五郎の作品は今迄数多くの全集が出版されてきたのだろうが、2005年に『山本周五郎中短編秀作選集・全5巻』(小学館)が出版された。
この選集の特徴は山本周五郎の中短編の作品を以下の五つのキーワードで編集されていることだ。
そのキーワードは『待つ』『惑う』『想う』『結ぶ』『発つ』であり、それらの各々のキーワードで各巻が編纂されている。
従って、この選集5巻を読めば、山本周五郎の中短編の代表作を一通り読めることになる。
***
私は此の数か月の間、此の選集を少しずつではあるが読み通した。各巻には約15,6の中短編が掲載されていて、いずれの作品も、まさに山本周五郎ワールドであり、しみじみと味わい深く読んだ。
***
なかでも印象に残ったのは、第4巻『惑う』に収められた『おさん』であった。
内容は省略するが、フラッシュバックの技法が駆使されていて、短編であるにも関わらず話の内容の陰翳が鮮やかであって、読後、暫く私は茫然としていた。
丁度、良き映画の長いエンドロールを、いつまでも見続けているときのように、しみじみとした余韻を私は密かに味わったのだった。
***
山本周五郎・・・というより小説一般を読むのは私は実に半世紀ぶりなのだが読書というものの奥行きの深さを再認識し始めたのは、ここ数年と言ってよい。
それまでの私の「読書」は仕事の専門書を読むことであって、それは義務以外のなにものでもなく、およそ楽しいものではなかった。
私は今更ながら読書の楽しみを再発見しつつある
この選集の特徴は山本周五郎の中短編の作品を以下の五つのキーワードで編集されていることだ。
そのキーワードは『待つ』『惑う』『想う』『結ぶ』『発つ』であり、それらの各々のキーワードで各巻が編纂されている。
従って、この選集5巻を読めば、山本周五郎の中短編の代表作を一通り読めることになる。
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私は此の数か月の間、此の選集を少しずつではあるが読み通した。各巻には約15,6の中短編が掲載されていて、いずれの作品も、まさに山本周五郎ワールドであり、しみじみと味わい深く読んだ。
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なかでも印象に残ったのは、第4巻『惑う』に収められた『おさん』であった。
内容は省略するが、フラッシュバックの技法が駆使されていて、短編であるにも関わらず話の内容の陰翳が鮮やかであって、読後、暫く私は茫然としていた。
丁度、良き映画の長いエンドロールを、いつまでも見続けているときのように、しみじみとした余韻を私は密かに味わったのだった。
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山本周五郎・・・というより小説一般を読むのは私は実に半世紀ぶりなのだが読書というものの奥行きの深さを再認識し始めたのは、ここ数年と言ってよい。
それまでの私の「読書」は仕事の専門書を読むことであって、それは義務以外のなにものでもなく、およそ楽しいものではなかった。
私は今更ながら読書の楽しみを再発見しつつある
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