或る人が言うには鴎外は女性アァンが意外と多いそうだ。
尤も今や年配者だろうが。
『安井夫人』の、佐代
『山椒太夫』の、安寿
『最後の一句』の、いち
『御持院河原の敵討』の、りよ
『澁江抽斎』の、五百
これらの女性たちには共通点がある。
そのなかで私が際立って好きなのは『安井夫人』の、「お佐代さん」。
鴎外は以下のように書いている。
『お佐代さんは必ずや未来に何物かを望んでいただろう。そして瞑目するまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれていて、あるいは自分の死を不幸だと感ずる余裕をも有せなかったのではあるまいか。その望みの対象をば、あるいは何物ともしか弁識していなかったのではあるまいか。』
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鴎外の後期の作品の魅力の一つは、このような「人知を超えた、なにものか存在」が通底しているように私には見受けられる点にある。ある種の運命論者に見える。
例えば、『御持院河原の敵討』において、「神仏のご加護」をも必ずしも否定していないように見受けられる。
また『雁』の「お玉」と岡田も、ある運命の糸に、あやつられている。
そこが漱石とは決定的な違いだと私には思われる。
それにしても、お佐代さんの視線は何処へ向けられていたのだろうか? 今生の世俗でないことは確かである。