2014年11月26日水曜日

『落葉の隣り』 (山本周五郎)


私は一般に長編小説は苦手である。その理由は私はセッカチだからだ。(私の此の性格は我が半生において私自身を実に苦しめてきたものだ)

幸いにして山本周五郎は中短編小説が多い。掲題の小説は、図書館から借りた山本周五郎全集(新潮社)の中の一巻に収められていた。昭和34年に発表された作品だ。

これは私の感想メモであるから小説のストリーは書かないが、此の短編は、まさに山本周五郎ワールドを最も堪能できる作品の中の一つだと私は思う。

己の感想ブログに他人の感想を転記するのは安易なコトでヤリたくないことだが、奥野建男が此の本の最後で『落葉の隣り』の感想を書いている。私も全く同感であり、よくぞ書いてくれたと思うので、少し長いが引用しよう。

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『落葉の隣り』を読むと、江戸の職人町に住む庶民の雰囲気と人情がそくそくと伝わってくる。繁次と参吉の友情、おひさへの諦めに似た愛情、そして参吉への信頼は裏切られ、おひさは『やぶからし』と同じように、だめになった男にひかれて行くかけちがった恋のかなしさ、途中までの「落葉の雨の・・・」の端唄がいつまでも心の中に沁みついている。ここに、つつましい人間の生活が、どうにもならない宿命が、生きるさびしさが、さりげなく、そして深く表現されている。忘れていた文学の故郷とも言うべき絶品であり、ぼくのもっとも好きな小説である。

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山本周五郎の作品全てに言えることだろうが、たとえ短編でも、そこに描かれている人間たちの哀歓の表現は、通り一辺の上っ面のものでなく、読む人の心の襞(ひだ)に深くしみ込んでいく。ことに此の『落葉の隣り』に描かれた名もない庶民たちの哀歓には私は心うたれた。

私は此の小説を読み終わって、暫く、本を閉じられなかった。
そして此の端唄も私の耳の奥で、いつまでも、かすかに聞こえるようであった。

「落葉に雨の音を聞く、隣りは恋のむつごとやーーーー」

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この短編は『その木戸を通って』同様に私にとっても忘れ得ぬ小説となるに違いない。